96 ジエンド商会輸送部門の新事業 1

◆◆◆



「父さん、シャルラー伯爵領の最初の町がそろそろ見えてくる頃だよ」

「そうか。いよいよだな」

「うん、いよいよだね」


 息子の逸る気持ちと緊張を滲ませた言葉に、アベル・ボランは周囲の景色から視線を前へと向けた。


 ゼンボルグ公爵家の当主が代々商会長を務めるジエンド商会。

 その輸送部門の責任者であるアベルは、息子のセドリックおよび数名の部下と共に荷馬車に揺られていた。


 荷馬車の行く手、視界の先には連なる高い山々がある。


 シャルラー伯爵領は、ゼンボルグ公爵領でも北西に位置する高地の領地だ。

 牛や羊、鶏などの畜産と酪農が盛んで、人の数より牛や羊の数の方が多いと言われている。


「報告通り、ちゃんと街道が整備されているね」

「ああ。剥き出しの土のままなのは変わらないが、デコボコとしていたのが平らにならされて、道幅も少し広くなっているようだ」


 数年前に訪れた時とは違い、ゼンボルグ公爵たるリシャールの通達に従って整備された街道に、アベルは満足げに頷く。


 シャルラー伯爵領では街道のみならずほぼ全ての道が山道で傾斜があり、しかもろくに整備されていなかったので、あまり商人が訪れない領地だった。

 そのため、特産品の牛肉や羊肉は近隣の領地であれば多少は出回るものの、知名度で言えば無名に等しい。

 中でも牛肉は肉質が柔らかく上質で美味いと評判らしいが、シャルラー伯爵領やその近隣の領地を訪れなければ食べられない、一部の食通のみに知られている品だった。

 そのためか、バターやチーズ、牛皮や羊毛、毛織物など、保存が利く品は遠くまで輸出されているものの、そちらも上質の割に知名度を得られていない。


「実にもったいない話だ」

「うん、本当にもったいない。でもそれが今回の商談で一変するかも知れない。そうだよね?」

「ああ、その通りだ」


 それを思うと、アベルもセドリックも胸の奥が熱くなるのを覚えた。


 手綱はセドリックに任せ、アベルはチラリと荷台を振り返る。

 荷台には、荷馬車用の冷蔵庫が載っていた。


 そして後続の荷馬車には、ブルーローズ商会の副会長補佐で事実上の副会長の、かつてサンテール商会で貴族相手の渉外担当をしていた、マチアス・バイエとその部下が乗っている。

 その荷馬車の荷台に載っているのは、荷馬車用の冷凍庫だ。


 幌のおかげで外からは分かりにくいが、冷蔵庫も冷凍庫も人が立って入れるほどの高さがあり、幅も奥行きも、ほぼ荷台全てを占拠する程に大きい。


 冷蔵庫の中には、卵、山羊のミルク、肉、野菜、果物など。

 冷凍庫の中には、川や海の魚介類、肉など。


 これまでであれば、とてもではないが遠方へなど運べなかった、ゼンボルグ公爵領の各地から集められた特産品の数々が入っている。


 鉄製で気密をしっかりと保たれた作りの上、外側と内側は木板やコルクを断熱材としてふんだんに使っているため、触れたところで冷たさを感じることはない。

 しかし中は、真冬のように寒く冷たいのだ。

 従来の魔道具の保冷箱などとは、性能、容量共に、文字通り桁が違う。


「これ程の魔道具を、まだたった六歳のマリエットローズお嬢様が……」

「父さん?」

「いや、なんでもない」


 思わず呟いてしまい、アベルは慌てて口を引き結ぶ。

 自分の後継者として育てている息子といえど、まだ役職にすら就いていない若輩者である。


 マリエットローズが天才幼女と呼ばれるに値する才能と、計り知れない価値を持つことは、まだごく一部の者にしか知らされていない。

 かつてのゼンボルグ王家、そしてゼンボルグ公爵家となった今も、代々お仕えしてきたアベルでさえ、今回の仕事を命じられた時に初めて明かされたのだ。


 天才魔道具師としてうたわれるバロー卿が、ここ数年ゼンボルグ公爵家に腰を落ち着けて魔道具開発をしていることは有名だ。

 そのバロー卿をして天才魔道具師と言わしめる、それが主家のお嬢様である、若干六歳のマリエットローズなのだ。


 一つ所に居着かないと有名だったバロー卿が、何故ゼンボルグ公爵家に腰を落ち着けているのか。

 理由は察するに余りある。


 それらの秘密をいずれ息子に明かす時が来るかも知れないが、それは今ではない。


「ゼンボルグ公爵領の未来は明るいな」

「うん。公爵閣下が過度なスパイスの使用の禁止と、それで浮いた費用を街道などのインフラ整備および特産品の増産や品質向上に投資するようにと通達を出された時、僕は何かが始まるんじゃないかって、そんな期待を抱いたんだ」


 それが三年前。

 それはアベルも同様だった。


「そして今、それら特産品を新鮮なまま長期保存、そして長距離輸送出来る魔道具で、流通が大きく変わろうとしている……あの時の通達は、この時のためだったんだって思うと僕は……!」


 オルレアーナ王国の古参の貴族達から、貧乏だ田舎者だと散々馬鹿にされ見下されてきた、そんな自分達が大きな飛躍の時を迎えようとしている。


 それを感じて、セドリックが大きく身震いした。

 言うまでもなく、武者震いだ。


 そしてそれはアベルも同様である。

 だから気合いを入れ直す。


「なんとしても、今回の商談は成功させなくてはな」

「うん、父さん。絶対に成功させよう!」


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