78 マリエットローズの婚約者の条件

◆◆◆



「『すごいの作ってきますね♪』か……やれやれ、マリーが作る魔道具は、誇張なしで本当にすごい物ばかりだからな。次はどんな魔道具を開発するのか、楽しみなような、怖いような、複雑な気分だよ」


 マリエットローズがエマを伴い嬉々としてリビングを出て行くと、リシャールは大きく息を吐いてソファーに身を預けた。


「もしかしたらマリーは、世界の在り方を一変させてしまうかも知れませんわね」

「あながち冗談に聞こえないから、我が娘ながら、空恐ろしいよ」

「でも、頼もしくて、愛おしくて、マリーがわたし達の娘で本当に良かった」

「ああ、その通りだ」


 扉の向こうに見えなくなった娘を慈しむように眺めているマリアンローズの幸せそうな横顔に、リシャールも同じ眼差しで見えなくなった娘の背中を追った。


 大切な愛娘について語り合う、ゆったりとした夫婦の時間。

 それは至福の一時ひとときだ。


 しかしそれを破る無粋なノックが響き、執事のセバスチャンが難しい顔でリビングへと入ってきた。


「旦那様、お手紙が届いております」


 セバスチャンがうやうやしく差し出した一通の手紙と添えられたペーパーナイフに、リシャールは眉間に皺を刻んだ。


 愛する妻と、愛娘について語らう時間を邪魔されたからではない。

 リシャールが不在の間、全ての手紙は執務机にまとめて置かれることになっている。

 それをわざわざ届けに来たと言うことは、至急もしくは重要な案件である証だ。


 差出人を見てその皺をさらに深くし、黙したまま封を切り目を通す。


 文面を追うにつれて厳しさを増していく夫の視線に、マリアンローズは不安げに表情を曇らせた。

 やがて、リシャールは大きく息を吐き出して、その手紙を封書へと戻す。


「マリーへ婚約の申し込みだ」

「まあ……それで、今度はどこの貴族家から?」


 本来であれば、愛娘への縁談は喜ぶべきことである。


 ゼンボルグ公爵家はかつてのゼンボルグ王国の王家であるが故に、婚姻相手を探すのは難しい。

 最低でも政治力、経済力、国政への影響力がある伯爵家以上。

 普通に考えれば、どこかの国の王家が相応しいと言える。


「差出人はヴァンブルグ帝国の在オルレアーナ大使、ミュンヘルン侯爵。正しくは、皇太子殿下と皇子殿下が外遊で王都オルレアスを訪れた際に大使館で開かれる、パーティーへの招待状だ。しかし、遠回しにマリーも同行させるよう言ってきている。恐らくはマリーを皇子殿下と引き合わせ、婚約について協議したいのだろう」

「まあ……」


 現在、王家に直系の男子はレオナードしかおらず、王女もいない。

 だからオルレアーナ王国貴族として、公爵令嬢のマリエットローズが国境を接する軍事大国であるヴァンブルグ帝国の皇室に入ることは、両国の友好の架け橋となるだろう。

 身分的にもマリエットローズの相手として申し分なく、普通に考えれば願ってもない良縁だ。


 しかし……。


「面倒なことになったな」


 それは歓迎できない話だった。


「大間抜けのワッケ子爵が尻尾を出したことで、ヴァンブルグ帝国の企みは頓挫しかけている」

「アラベルから聞いた話で、マリーが見抜いたと言う、あれですか?」

「ああ、そうだ」


 前ワッケ子爵はヴァンブルグ帝国と国境を接する領地を持つ、辺境伯の派閥の領地貴族だった。

 そんな彼らを、ヴァンブルグ帝国は裏で寝返るよう画策していたのだ。


 それをマリーに見抜かれ、リシャールが秘密裏に調査し、黒と判断。

 ゼンボルグ公爵家と悟られないよう十分に注意して、王家へ密告。


 結果、別の名目で前ワッケ子爵は蟄居ちっきょさせられ、家督は遠縁の一族が継ぐことになった。

 前ワッケ子爵一家は全員、遠からず病に倒れる・・・・・ことになる。


 辺境伯は前ワッケ子爵を蜥蜴の尻尾切りしたが、当然、王家の厳しい監視の目が付くことになった。


「それでマリーに……いえ、ゼンボルグ公爵家に目を付け、オルレアーナ王国を挟撃するつもりなのですね?」

「恐らくはな」


 歓迎できない最大の要因は、マリエットローズに流れている血が、オルレアーナ王家の物ではなく、ゼンボルグ王家の物だと言うことだ。


 ヴァンブルグ帝国の陰謀に巻き込まれれば、王家に目を付けられるのは必至。

 せっかくマリエットローズが発案して進めてきた『ゼンボルグ公爵領世界の中心計画』が、容赦なく潰されることだろう。


「マリーが生まれてすでに六年です。これまで、一度もそのような動きはありませんでしたよね?」

「マリエットローズ式ランプ、そして領内経済の活性化のせいだろう。さすがにマリーの才に気付いて目を付けたとは思えないが、今回のドライヤーや空調機などの話が帝都に届けば、帝国は益々本気になるだろうな」

「あなたは、どうお考えになっておられるのですか?」


 それは、マリエットローズの結婚についてだ。


「……マリーを外に出すのは惜しい……いや、容易に出すわけにはいかない」


 たった六歳の娘であるが、これまでの実績、そしてこれから積み上げるだろう実績を考えれば、マリエットローズをゼンボルグ公爵家から出すのは、あまりにも損失が大きかった。


 リシャールもマリアンローズも、マリエットローズが生まれたときから考えていた。


 優秀な婿を迎え女公爵にするか。

 それとも親族から養子を迎え家督を継がせ嫁に出すか。


 マリアンローズが懐妊したことで、待望の男子であれば家督を継がせればいいし、次女であればどちらを選んでもいい。

 ただ、仮に待望の長男であっても、マリエットローズは手放せない。

 そう天秤が傾いてきていた。


「そうですわね。マリーを嫁がせるのであれば、よほどの相手でなければ、わたしも納得出来ません」


 少なくとも、これまでに婚約話を持ちかけてきている、ゼンボルグ公爵家を鎖で繋ごうと画策している王家の重鎮の貴族家や、賢雅会の特許利権貴族達に苦しめられ援助を求めている貴族家などでは話にならなかった。


 意図が異なるところでは、シャット伯爵家からそれとなくほのめかされているが、現状、派閥の貴族家との婚姻にメリットは皆無だ。


 これらと比べれば、まだヴァンブルグ帝国の皇子との婚姻の方がメリットがあり、現実的と言えた。


「もしマリーを国内の貴族家に嫁がせるのであれば、もはや王家以外にはないのではありませんか?」

「マリアの言う通りだ」


 様々な政治的意図を理解した上でのマリアンローズの言葉に、リシャールは真剣味が増した表情で、重く頷いた。


「マリー程の才覚があれば、王家も重鎮達も無視出来まい。マリーなら積極的に政策を打ち立て、政治に参画出来るだろう。私も王妃の父として、マリーが世継ぎを産めば国母の父として、積極的に政治へ介入出来る。マリーの計画が成就し、ゼンボルグ公爵領全てで力を付けられれば、王家も中央も、今のような扱いを出来なくなることは間違いない」


 マリエットローズが普通の娘であれば、それはかなり難しい話だっただろう。

 しかしマリエットローズの才覚を考えれば、一気に現実味を帯びる。


 だから、今はまだ王家や中央に不信感を持たれないよう、余計な介入を許さないよう、ヴァンブルグ帝国の皇子との婚約を進めて目を付けられるのは得策ではなかった。


「マリーにはどうなさいます?」

「しばらくは秘密にしておこう。あの子は今、計画と魔道具開発が楽しくて仕方ないようだ。それを邪魔したくない」

「そうですね。あの子は賢いですから、余計な事を考えて、色々と思い悩んでしまうかも知れません」

「ああ、その通りだ。何より、マリーが今後どれほどのものを生み出すか、それを考えれば、情勢がどう動くか読み切れない。オルレアーナ王国王家、ヴァンブルグ帝国皇家、どちらも選択肢として残しつつ、今は時を稼ぐべきだろう」


 リシャールとマリアンローズは頷き合う。

 そして、側で控えていたセバスチャンや侍女達へと顔を向けた。


「今の話は他言無用だ。いずれ私からマリーへ話をする。それまでマリーの耳に入ることのないよう、十分注意してくれ」

「畏まりました」





「お嬢様、そんなに走られたら危ないですよ! いえ、それ以前に、はしたないですよ!」

「だってどんどんアイデアが湧いてきて、早く形にしたいんだもん♪」


 給湯器の設計をして、この屋敷だけじゃなくて、大型船にも乗せるよう船の設計も見直さないと。

 さあ、また忙しくなるわよ!


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