8 開き直ってお仕事開始



 私は四歳になった。



「おとうさま、ここのけいさん、まちがっています」


 私は自分の椅子から立ち上がると、お父さん改めお父様の執務机にどこが間違っているのか訂正を入れた書類をパンと置く。


「どれどれ……本当だ。さすがマリー。差し戻して再提出させよう。あと、私のことはパパと呼びなさい」


 お仕事中だから畏まってお父様って呼んだのに。

 あの一件以来、子煩悩が加速している気がするわ。


「はい、ぱぱ」


 サービスでにっこりと微笑む。


「うんうん、今日もマリーは可愛いな」

「ぱぱだって、きょうもかっこういいです。おしごとしているよこがおは、とってもりりしいです」

「おおっ! そうかそうか、それは仕事を頑張らないと!」


 キリッと顔を引き締めて書類に向かうお父様。

 チョロい。


 でも、そんなチョロいお父様が私は大好きだ。

 愛されているって感じる。


 四歳の娘に手玉に取られるお父様のイケメンな横顔を眺めて満足して、私は自分の席に座って、また書類に向かった。


 私は今、お父様の執務室に私専用の小さな執務机を置いて貰って、領地経営の手伝いをしている。


 あの一件、大人向けの難しい本を読んでいたのを見つかって、天才だなんだとはやし立てられてしまった一件の後、誤魔化すのはもう無理だと思ったから、いっそのこと開き直ることにしたの。

 だって三歳児がコソコソ本を読んで調べるのなんて、限界があるもの。

 それに本だけだと、執筆された時点の古い情報に限られてしまうし。


 だから現在のゼンボルグ公爵領の状況を把握すべく、お手伝いを始めたと言うわけ。


 さらに、普通なら五歳や六歳くらいになってから頼むはずの家庭教師を三歳で早々に付けて貰って一気に勉強を進めて、四歳になった今、貴族学院の高等部で学ぶところをやっている。


 同時に、礼儀作法とダンスも習い始めた。


 早々に卒業資格を取れるだけの学力や礼儀作法を身に着けておけば、貴族学院に入学しないってオプションも選択出来るようになる。

 事態がどう転ぶか分からない以上、手札は多いに越したことはないもの。


 自分で言っていてなんだけど、完全にチートよね。

 集中力と理解力は大人で、吸収力は幼児そのものだし。

 おかげで、天才児の名を欲しいままにしているわ。


 それでも、二十歳過ぎればただの人、となってしまうけど……。

 でも、その二十歳になれるかどうか、現状絶望的に危ういんだから、形振り構ってはいられないのよ。


「マリー、この書類も確認をお願い出来るかな?」

「はい、ぱぱ」

「マリーが手伝ってくれるようになって、前より仕事が楽しくなったよ。ありがとう」

「えへへぇ♪」


 私にとっては、娘大好きなとっても優しいお父様。


 でも、娘の私に見せない為政者の顔が当然あるはず。

 為政者として、果たして何を感じて、何を考えているのか。


 今のところ、王国を乗っ取ろうなんて陰謀を企みそうなほど、お父様が王国を恨んだり憎んだりしているようには見えないし思えないけど……。

 この先、それほどの何かが起きてしまうのか。

 それとも、長年にわたって幾つも幾つも色々な欝憤うっぷんが積み重なり続けて、ある日、遂に限界を超えてしまうのか。


 その長年の欝憤は、多分ほとんどが経済的な嫌がらせと、貧乏だ田舎者だと馬鹿にされて軽く扱われてきたことだと思うけど。

 もしこの先、それほどの何かが起きてしまうとするなら、それはもう、何が起きるか分からないんだから、今の私には手の打ちようがない。


 でも、長年にわたっての欝憤なら、なんとか出来るかも知れない。


 そこで考えたのが、ゼンボルグ公爵領を豊かにすること。


 領地が豊かになれば、もう貧乏だ田舎者だと馬鹿に出来ないはずよ。

 心に余裕が生まれれば、嫌味なんて負け犬の遠吠えくらいにスルー出来るだろうし。


 そうして古参の貴族達を見返してやれたら、多少なりとも溜飲が下がるんじゃないかしら。

 その上で古参の貴族達に、経済的な嫌がらせをしている場合じゃない、仲良くしないと自分達が損をするだけ、そこまで思わせられたら最高ね。


 そう決めたら、後はどうやって領地を豊かにするかだけ。

 お父様の書類仕事は大きく分けて三つ。


 一つは、直轄地から上がってくる書類を精査して指示を出すこと。

 一つは、各領地から上がってくる書類を精査して指示を出すこと。

 一つは、ゼンボルグ公爵家が手がけている事業について、商会から上がってくる書類を精査して指示を出すこと。


 領地を直接運営しているのは、各領地の領主としてお父様に任命された貴族達。

 だから、○○伯爵領、××子爵領、と言うのが各地にあるけど、それはお父様の代理としてゼンボルグ公爵領の一部を統治しているに過ぎないの。

 それらの領地を全部ひっくるめて、ゼンボルグ公爵領になると言うわけね。


 だから書類の確認をすれば、各地の状況がどうなっていて、どんな問題を抱えていて、何をどうすれば解決して豊かになれるのか、そのヒントを探せるはずよ。

 同時に、もし陰謀が動き出すなら、その予兆を掴めるかも知れないから、目を光らせる意味もあるけど。


 とにかく私は、お父様とお母様が大好きなの。

 前世の家族のことは……まだ少し未練があるけど、もう、それはそれ。

 こうしてゼンボルグ公爵令嬢マリエットローズ・ジエンドとして生まれ変わった以上、今の家族と生活を大切にしたい。

 だから、『マリエットローズ・The END』なんてことにならないように、精一杯足掻くつもりよ。


 意気込みを新たにして書類に目を通していると、執務室のドアがノックされてお母様が顔を出した。


「あなた、マリー、少し休憩にしましょう。クッキーを焼いたのよ」

「くっきー!?」


 私は書類を放り出して立ち上がると、お母様に突撃して抱き付く。


「あらあらマリーったら。本当にマリーはお菓子に目がないわね」


 可笑しそうに微笑まれて、はっとなる。

 意気込みを新たにしたばかりなのに、クッキーって聞いて……。


 うん、だってまだ四歳だもの……。

 それにこの世界の甘いお菓子って、貴重で贅沢品なのよ?


 誰にするでもない言い訳を心の中でしながら、お母様と手を繋いで食堂へ向かう。


「わたし、ままのくっきー、だいすき!」

「ふふっ、私もマリーがクッキーを美味しそうに食べてくれるところを見るの、大好きよ」

「うん!」


 今日も食堂でいっぱい食べて……。


「あらあら、いっぱい食べておねむになったのね」

「ん……」


 しぱしぱする目を擦る。

 お腹が膨れて、急に眠たくなって……。


「じゃあ、お昼寝しましょうね」

「ん……」


 だってまだお昼寝が必要なお年頃だし。

 心はともかく、身体の方が付いてこないのよ。


「私が運ぼう。さあマリー、お部屋に行こう」


 お父様が抱き上げてくれたから、お父様にギュッと抱き付く。

 お父様はタバコは吸わないし、お酒も控え目であまり飲まない。

 だからお父様の匂いは好きで、嗅いでいて安心する。


「ふふ、もう半分夢の中ね」


 お母様も一緒に私を部屋に連れて来てくれて……。

 ベッドに入る前に、私はすっかり夢の中だった。


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