9 スパイスブームの行き過ぎた貴族のプライド

 言うまでもなく、私はお父様とお母様が大好きだ。


 お父様はどんなに忙しくても、私が遊んで、構って、抱っこしてって言ったら、仕事そっちのけで一緒に遊んでくれて、イケボで話し相手になってくれて、膝の上に乗せてくれて、抱き上げてくれる。


 お母様だって、とってもいい匂いで、一緒に庭を散歩してくれて、刺繍を教えてくれて、歌を歌ってくれて、お菓子を作ってくれて、柔らかな声で本を読んでくれる。


 その溢れんばかりの愛情は、転生したことで湧き上がる様々な複雑な感情と悲しみを癒してくれて、私をとても幸せな気持ちにしてくれるから。


 でも、そんなお父様とお母様にも、どうしてもやめて欲しいことがある。

 だから、改まった真面目な話として、パパ、ママじゃなく、お父様、お母様で呼びかける。


「おとうさま、おかあさま、そんなおしょくじをするのは、もうやめてください」

「それはいくらマリーの頼みでも聞けない相談だ。これは貴族としての誇りの問題なのだからね」

「そうよマリー。貴族として引けない一線があるの」


 何かと言えば、塩、胡椒、唐辛子、その他スパイスまみれの食事のことだ。


 貴族のプライドを掲げ、身体に悪い不味い料理を無理して食べて。

 意固地になって、娘の私の言葉すら聞き入れてくれない。


「ぶぅ……」


 ついほっぺたが思い切り膨らんでしまった私に、お父様もお母様も、どう説明したものかと困ったように笑う。


「美食を極めると言うことは、こういうことなんだよ」

「マリーはとても賢い子だけど、理解するにはまだ早いのかも知れないわね」


 お父様は誇り高く、お母様は優しく諭すように、そう言うけど……。


 言っちゃなんだけど、私には二人が滑稽にしか見えない。


 確かに、お父様の言うことが分からないじゃないのよ?

 いま王国では、どれだけ食事にスパイスをふんだんに使えるか、その消費量が地位と権力と財力のステータスになっているから。

 どの貴族も、みんなこぞってスパイスを買い求めて、本気で胡椒が同じ重さの金貨の価格になっているそうよ。


 しかも、ゼンボルグ公爵領は田舎だと、貧乏だと、普段から王都付近の中央のみならず、辺境の貴族達にまで馬鹿にされている。

 だから、ふんだんにスパイスを消費することで、田舎でも貧乏でもないと、負けられない戦いになってしまっているのよね。


 このスパイスブーム、多分最初は本当に美食だったと思うんだけど……。


『うちの食事は、高価で珍しいスパイスをこれだけふんだんに使えるだけの金を持っているんだぞ』


 と、誰かが見栄を張ったんでしょうね。

 つまり、金銀宝石で着飾って自分には財力がある、自分とは仲良くした方が得だぞ、と言うのと同じ理屈で、高価なスパイスに目を付けたわけね。


 これを無駄と取るか、必要経費と取るか、意見は分かれるところだと思うけど。

 でももし大会社の社長が、よれて擦り切れた安物のスーツを着て、接待を激安ラーメン屋やコンビニ弁当で済ませたら、『この会社大丈夫?』って思われて、まとまる商談もまとまらないと思う。


 それと同じね。


 ところが、そうした見栄の張り合いがエスカレートした結果、スパイスにまみれにまみれた、とても食べられたものじゃない料理にまでなってしまったに違いない。

 でも、見栄とプライドで、それを美食と言い張って、誰も彼もが引くに引けなくなってしまっている。

 中にはスパイスを扱う商人に乗せられて、踊らされている馬鹿も大勢いるんじゃないかしら。


 でも、さすがにここまできたら、過ぎたるは及ばざるがごとし。

 無駄と言い切っていいと思う。

 それで無駄に散財して、健康を害して早死にでもしたら、もう笑うに笑えない。


 ましてや私は、食に飽くなき追求をすることにかけては右に出る者がいない、元日本人。

 特上のサーロインが、肉の味も、油の甘さも、全てがスパイスに塗り潰されてわずかにも味わうことすら許されないような食事なんて、断じて食事とは認めない。


 でも、そんな情熱を以てしても、お父様もお母様も耳を貸してくれないのよね……。


「ふぅ~……」

「お嬢様、どうかなさいましたか?」


 どうしたものかと頭を悩ませながら廊下をポテポテ歩いていたら、ふと影が差して声をかけられる。

 顔を上げると、初老のダンディなおじ様が目の前に立っていた。


 白髪交じりの赤茶けた髪を後ろに撫で付けて、額や目尻の皺、口元のほうれい線が刻まれた、はしばみ色の優しい瞳を持つ、お父様の執事のセバスチャン。

 黒を基調にした三つ揃えの執事服をビシッと着こなして、もう四十代後半でこの世界ではお年寄りの年齢になるのに、ピンと背筋が伸びて老いを感じさせない、年を重ねた貫禄を感じさせる低い声が魅力的なイケオジだ。


 名前がストライクでセバスチャンだったことで、私は大喜びで懐いて抱っこして貰っちゃったのよね。

 それ以来、セバスチャンはすごく私を気に懸けて可愛がってくれて、奥様とご子息を病気で亡くしてしまい独り身になってしまったことから、私を本当の孫のように思ってくれている、お父様とお母様とエマの次に大好きな人だ。


「あのね、おとうさまとおかあさまが……」

「お食事の件ですか」

「うん……」


 さすが有能執事、すぐに察してくれた。

 両手を伸ばして抱っこをねだると、嬉しそうに抱き上げてくれる。


「ふふっ」


 私が抱っこをねだったのがよほど嬉しかったのか、満足げなセバスチャンの低くて渋い声が耳をくすぐって、私も大満足だ。


 ……じゃなくて。


「せばすちゃん、どうしたらいいとおもう?」

「そうですなぁ……わたくしめも、それとなく旦那様と奥様にお嬢様のお気持ちをお伝えしてみましたが、貴族社会はなかなかに難しく、一筋縄ではいかないようでして」


 遠回しに言っているけど、要はプライドを懸けているから、引き下がるつもりはない、と言うことよね?


「ぷらいどはだいじ。みえもときにはだいじ。ちょっとならいいの。おいしかったらいいの。でも、すぎたるはおよばざるがごとし、でしょ」

「お嬢様は難しい言葉をご存じですな。ですがお嬢様のおっしゃる通りでしょう」


 あ、もしかしてセバスチャン、私の味方になってくれる?

 だとしたら、なんとか出来るかも?


「せばすちゃん、てつだってくれる?」


 こてんと首を傾げる。

 セバスチャン、もうそれだけでデレデレだ。


「もちろんでございますとも」


 うん、私にだけチョロいセバスチャンも大好きよ。


「それで、何をどうなさいますか?」

「え~っと……」


 しまった、どうにかしたいってだけで、具体的には何も考えてなかったわ。


「う~んと……」


 言っても駄目なら、強硬手段に訴える、かな?


「あ、おもいついた!」


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