3 ゼンボルグ公爵令嬢マリエットローズ・ジエンド

 食事が終わって――いつも通りのパン粥が出されて私はそれを頂いた――お母さんに抱っこされて自室へと連れて行かれる。


 まだ大学生くらいの美人さんがお母さんって、ちょっと変な感じ。

 だって、前世の私よりうんと若いし。


 ……子供どころか、彼氏すらいなかったからちょっと羨ましいかも。


 それはさておき。


 私は段々、自分の置かれている状況が分かってきた。


 さっきのはどうやら食堂だったみたいで、よくアニメや漫画で見た、いかにも貴族の屋敷の食堂って感じだった。

 燭台があって、暖炉があって、天井にはシャンデリアがあったし。


 廊下もね、そんな感じ。

 高価そうな壷が飾ってあったり、風景画や人物画が飾ってあったり、赤い絨毯が敷かれていたり。


 窓から見えるのは広い庭。

 植木と花壇で迷路みたいになっていて、噴水まである。


 そしてその向こうには両開きの門と門から続く石畳の道、高い壁が長く続いている。

 その庭だけで、学校のグラウンドを優に八面取れるくらい広いんじゃないかしら。


 廊下も長い。

 部屋数も多い。


 ここ、とんでもないお金持ちの家みたい。

 これはあれね、どう見ても私、どこかの貴族のお嬢様に転生したとしか思えないわ。


 まさか、そんなネット小説みたいな展開が自分の身に起きるなんてね……。


 お母さんに抱っこされたまま私の部屋に入って……広っ!?


 子供部屋とは思えないほど広い!

 私が住んでいた六畳一間のアパートの部屋の何倍も広い!


 ベッドも天蓋付きで大きい!

 ゴロゴロ転がって遊べちゃうくらい大きい!


「ふぁ……」


 ベッドを見ていたら、思わず欠伸が漏れてしまう。


「あらあら、マリーはお腹がいっぱいになって、おねむになったのかしら?」

「……あい」


 また舌っ足らずな『あい』になってしまった。

 だって二歳だししょうがないよね。


「奥様、お嬢様、さあどうぞ」


 エマが布団をめくりお母さんから私を受け取ると、ベッドに寝かせてくれる。

 おかげで、目も開けていられないくらい眠気が襲ってきた。


「ん……」


 ……現状把握は起きてからにしよう。

 もしかしたら全部夢だった……と言うこともあるかも知れないし。


「お休みなさいマリー。良い夢を」


 額にキスをされて、なんだかくすぐったくて、ほんわり胸が温かくなって、ああ、私ってちゃんと愛されているんだなってすごく安心出来る。


 お母さんとエマが見守る中、私はすぐに眠りに落ちていた。



 目が覚めると……天蓋付きベッドの中だった。

 どうやら貴族のお嬢様に転生したのは夢じゃなかったみたい。


 この国、この世界、この時代、どんな所なんだろう?

 それをちゃんと知りたいわ。

 だって、こうなった以上、開き直って新しい人生を謳歌したいじゃない。


 もちろん残してきた家族のことは心残りだけど……。

 くよくよしたところで、元の世界に帰れるわけじゃないだろうし。


 だったら第二の人生を明るく楽しく暮らした方が、残された家族だってきっと安心してくれるはずだもの。


 何より、休日返上で毎日残業して、疲れ切った身体に鞭打ってアパートに帰るだけの社畜人生より、貴族のお嬢様の優雅な生活の方が絶対に楽しいはずよ。


 でもそのためには、何よりまず自分のことを知るのが先決だ。


「お目覚めになりましたか、お嬢様。ご機嫌はいかがですか?」


 ベッドの脇の椅子に座っていたエマが、膝の上の本を閉じて柔らかく微笑む。

 淡く澄んだ水色の瞳が真っ直ぐに私を見てくれている。


 もしかして私が寝ている間、ずっとそこに?

 ずっと見守ってくれていたなんて、いい子だな、エマ。


「え~ま~」


 ちょっと行儀が悪いけど、エマを指さして、エマの名前を呼ぶ。


「はい、エマですよ」


 名前を呼ばれたのがよっぽど嬉しいのか、エマはもうニコニコだ。


 ああもう、可愛いなぁ!

 つい私もニコニコしちゃって、それを見たエマが頬を染めながら益々ニコニコ笑顔になる。


 次は自分を指さす。


「ま~り~」

「はい、マリーお嬢様」


 エマはまたニコニコだ。

 私、自分のフルネームが知りたいから、マリーで止められちゃったら困る。


「ちな~がうの、じぇんぶ~」


 最初なんのことか分からなかったのかキョトンとしたエマだけど、どうやら言いたいことを理解してくれたらしい。


「はい、マリエットローズお嬢様」


 いや、だからフルネーム……え?


 私、マリーじゃなくて、マリエットローズって言うの?


 ちょっと待って!

 マリエットローズって名前、聞き覚えがあるんだけど!?


 急速に甦ってくる一つの記憶。


「まりえっと……ろーじゅ……じ……ぇ……」

「はい、マリエットローズ・ジエンドお嬢様」


 エマのニコニコ笑顔に、衝撃を受ける。


 私……マリエットローズ・ジエンド!?


 本当に!?

 あの!?


 乙女ゲーム『海と大地のオルレアーナ』に登場する悪役令嬢、ゼンボルグ公爵令嬢マリエットローズ・ジエンドのこと!?


 どのルートのエンディングでも必ず断罪され処刑される、国外追放や幽閉や修道院送りすらない、生存ルートが皆無の、ファンの間で『マリエットローズ・The END』って呼ばれていた……!?


 不味い、不味い、不味い、これは不味いわ!


 私、今、二歳……。


 あと十四年……あとたった十四年で、十六歳で成人を迎える前にまた死んじゃうわけ!?


 目の前が真っ暗になって……。


「ぇ? あら? お嬢様? お嬢様!?」


 私は気絶していた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る