2 前世の記憶はスパイスの刺激から



「――!?」


 パクンとお肉を食べた瞬間、口中を暴れ回る激痛。


 辛い! 苦い! しょっぱい!


 行き過ぎた味覚への刺激が激痛になって、ガツンと脳天にまで突き抜けた。

 その瞬間、ものすごい情報量の映像が頭の中に流れ込んできて、私は思わず茫然としてしまう。


 だって、思い出したから。


 私が、元日本人だってこと。

 女、独身、三十代半ばで会社員をしていたこと。

 そして最後の光景が、会社のパソコンの前で突っ伏し視界が真っ暗になったことを。


 どうやら私は、ネット小説定番の異世界……かどうかは分からないけど、転生をしてしまったらしい。


「ぶえっ!! ぺっ!! ぺっ!! からぁ……にがぁ……しょっぱぁ……」


 一瞬遅れて、私は涙目になりながら、口の中のお肉を吐き出す。


「お嬢様、全部ぺってして下さい! お口をふきふきしましょう!」


 吐き出したお肉を素早くナプキンで受け止めて、ハンカチで私の涙と口元を拭いてくれたのは、エプロンドレスが可愛いメイドさんだった。

 しかも美少女。


 白い肌とブルネットのふわふわのくせっ毛と、淡く澄んだ水色のつぶらな瞳とソバカスが可愛い、中学生になるかならないかくらいの女の子。

 顔立ちは、堀が深くてどう見ても日本人じゃない。


「はい、綺麗になりましたよお嬢様。からかったですね? 大丈夫ですか?」


 心配顔でオロオロする美少女のメイドさん、エマがハンカチ片手に場所を譲って脇に避けたことで、目の前にある物が目に入った。


 真っ白いテーブルクロスがかけられた、やたらと横に長いテーブル。

 銀の燭台。

 フルーツの盛り合わせ。

 パンとスープ。

 酢漬けのサラダ。

 そして厚みがすごいステーキ。


 ただし、塩、胡椒、唐辛子の粉、その他、スパイスにまみれにまみれた。


 おかげで肉の味どころか、それはもう思わず前世を思い出しちゃったくらい強烈で刺激的な味だったわよ。


「あらあら、マリーったら。お口の中が痛かったのね」


 そう言いながら席を立って私の側まで来たのは、二十歳になるかならないかのものすごい美人さんだった。


 ストレートの真紅の髪をアップにして、若草色の落ち着いた雰囲気のアフタヌーンドレスを着ている。

 透き通るような白い肌に明るい紅の瞳が宝石みたい。


 その優しそうな顔立ちの美人さんは私を抱き上げると、子供をあやすように額や頬に何度もキスをしてくれた。

 くすぐったくて照れ臭いけど、温かくて、すごく嬉しい。


 すぐに理解した。

 この人、私のお母さんだ。


「マリーにはまだ大人の味は早かったようだな」


 そう言って同じく席を立つと、お母さんから私を受け取って抱き締め、何度も優しく頭を撫でてくれたのは、二十代前半の若く凛々しいイケメン。


 同じくストレートの深紅の髪を短く切り揃えて、いかにも貴族って感じの上質な上着にズボンを穿いている。

 やっぱり透き通るような白い肌で、真紅の瞳が綺麗。

 とても優しい眼差しで、私を見つめてくれている。


 うん、この人が私のお父さんだ。


「はいお嬢様、お水です。お口の中を綺麗綺麗にしましょう」


 差し出された木製のコップを受け取ろうと手を伸ば……小っさ!?

 私の手、小っさ!?

 ぷにぷにお手々って感じだわ。


 よく見れば、足も短い。

 胸は真っ平らで、お腹もイカ腹でぽっこり。


 うん、理解した。

 抱っこされて当然。


 だって私、まだ二歳だもん。


「んく……んく……ぷあぁ……」


 エマにお水を飲ませて貰って、口の中の痛みが多少和らいだところで、ようやく人心地付く。


「マリー、もう大丈夫かい?」

「あい」


 コクンと頷いて『はい』って答えたつもりが、舌っ足らずな『あい』になってしまった。

 でも、お父さんもお母さんも愛おしそうに微笑んでくれる。


 それだけで、すごく心が温かくなって安心出来た。


「それじゃあ食事を続けよう」


 お父さんは微笑んで椅子に座らせてくれる。

 椅子にクッションをいっぱい積み上げて、背もたれと背中の間にもいっぱい当てて、ようやく高さを維持されている私。

 エマが手早く整えてくれて、そのクッションに身体を沈める。


「マリーにはいつもの食事を」

「畏まりました旦那様」


 うん、それがいい。


 どうやら前世の記憶を取り戻す直前の私は、おねだりしてお父さんとお母さんと同じお昼ご飯を食べたがったみたいだけど、こんなのもう一口で十分。

 こんなスパイスまみれの食事なんて絶対に身体に悪いから、子供が食べちゃ駄目。

 まだ口の中がヒリヒリしているし。


 でも、その刺激が、これが夢じゃなくて現実なんだって嫌でも思わせる。


 ともかく、私が食べられる食事が用意されるのを待つ間、改めて現状把握を――


「ぁ……!」


 ――と思って周りを見回して、思わずそう呟いて手を伸ばしてしまう。


 だって、お父さんとお母さんが自分の席に戻ると、上品にナイフとフォークを使って食事を続けたから。


 お母さんがスパイスまみれのお肉を切り分けて口に入れて、一瞬表情を強ばらせる。

 でも、それでも優雅に咀嚼して飲み込んだ。

 そしてすぐにお水をいっぱい飲んで、優雅だけど明らかにほっとした溜息を吐く。


 それはお父さんも同じ。


 そんな食事を続けている。


 ……こんなスパイスまみれの食事をしていたら、二人とも病気になって早死にしちゃうんじゃない!?


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