ある女の朝

なかがわ侑

 

 急浮上する意識。遠くで天気予報を伝える女性アナウンサーの声がする。朝が来たようだ。

 まだぼんやりと霞む視界で枕元を探り、固い端末を持ち上げれば画面が点灯して現在の時刻が表示される。いつも起きる時間帯より、まだ少し早い。端末を持つ手をぱたりと力を抜いて掛け布団を引き上げれば、心地よいぬくもりとやさしい暗闇が簡単に私を包み込んで眠りを誘う。もう少しだけ。と言い訳の言葉を誰に言うでもなく頭の中で呟いて、私の早起きするという目標は今回も達成できずに終わるのだった。



「なあ。何でいつも朝起きられへんのん。」


 マーガリンをたっぷり塗りたくったトーストにがぶりと嚙みついたタイミングで、母が呆れ気味に聞いてきた。口にものを入れた状態でしゃべるのは行儀が悪いと教えられているので、とりあえず何て答えればいいのか考えながら咀嚼する。マーガリンの塩気と小麦の香ばしさを飲み込んで、なんてことはない答えを返した。


「んー。アラーム設定してへんから?」

「ほんなら設定しいや。いつも出掛ける前にバタバタするんアンタやろ。もっと余裕もって起きてきなさいよ。」

「ん、わかった。」


アラームの設定時間、何時にしようか後で考えよう。ああ、コーヒーにもう少し牛乳多めに入れたらよかったな。

母の忠告はちゃんと耳に入っていたが、意識が目の前の朝食にやや持っていかれている。明日は早く起きたら、食パンにチーズを乗せて焼いてみようなんて考え始めていた。



 化粧下地にも使える日焼け止めを塗り、薄化粧をさらにシンプルにした“極薄化粧”──ファンデーションなしのアイメイクとアイブロウで顔面を整えるのみ──を施して家を出る。もはやこれを化粧と呼んでもいいのか迷うレベルだが、長く続けていると気にならなくなった。寧ろ肌に重ねて塗りたくると吹き出物が出やすい体質なので、正直なところとても助かっている。人前に出る仕事ならマナー以前の大問題だろうが、実際他人はそれほど注意深く誰かを見ているわけではないことを、今勤務している会社で知ったのも私にとっては僥倖ぎょうこうだ。


「おっ、間に合うかな…?」


駅に向かう途中に立っている大きな時計が、いつも通勤で利用している電車の発車時刻の七分前を示している。ゆっくり歩けばギリギリ飛び乗れる程度のタイムリミットだ。走るか、このまま歩くか。数秒考えて、私は走った。今のうちに少しでも距離を縮めておいて、駅に着いたらゆっくり歩けばいい。通り過ぎていく人や看板を後ろに置いていき、早朝の少し湿った空気をかき分けるように私は走った。



『お待たせしました。○○行きの急行が間もなく到着します────』


 駅のホームから電車の到着を知らせるアナウンスが聞こえてくる。間に合ったようだ。弾む息を整えて改札を通り、別に急いでませんよと主張するように一段ずつ階段を上る。ホームへ辿り着くと見慣れた電車がちょうど滑り込んできたところだった。今日も何でもない一日が始まろうとしている。

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ある女の朝 なかがわ侑 @march57ym

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