第53話 瞳の色
「フィーロ様のことを好きになってしまったからです」
サイネリアさんは
「うそ・・・・・・であったと思います。
少なくとも、先程までは」
「なっ・・・・・・!?」
絶句したまま口をパクパクさせるサイネリアさんの目は、言葉に偽りが含まれている様子ではなかった。
しかし、先程押し倒された時のことを冷静に思い返してみる。
その時のサイネリアさんの瞳には、僕に対しての好意を寄せる色合いは見て取れなかった。
緊張や羞恥、それから決意めいた表情とぎこちない仕草。
僕をベッドに抑えこむ腕には、必要以上の力が加わっており、強ばっていた。
幸いにも、その手のことに手慣れておらず、本心からその行為を歓迎している様子ではなかったのだ。
もしそうでなければ、僕は今頃・・・・・・流れに呑まれていたのかもしれない・・・・・・。
少なくとも、今のサイネリアさんの瞳には、僕に対する好意がはっきりと含まれている。
アヌエスさんやジュリーにも、ドネットさんやクレアンヌさまにも好意の色はあるように思う。
しかし、僕自身の経験値の無さから、その好意がどのくらい深いのかや、他の好意対象よりも優るのかはよく分からない。
とにかく、好意的かそうではないかくらいの判別にしか役立たない。
動物と会話する師匠はよく目の色を観察することを信条としていた。
それは表面的なカラーではなく、心情を読み取るための気色だ。
それで人や動物がどのような心情で自分や物事に接しているのかを読み取るのだという。
そうすれば、口だけの好意的台詞が、真意的な好意が伴っていないことはすぐにわかってしまうのだ。
魔法ではないところで、地道に情報を読み取ることは、魔法の礎になり、適所を見分けるために必要なことだ。
「サイネリアさん。
僕は先程のことを怒っていません。
ですから、どうして僕を襲ったのかを、詳しくお話していただくことはできますか?
話せることだけでも構いませんから」
「ここで話してしまったら、私はあなたのお世話係を外されてしまいます。
もしかするとお屋敷からも・・・」
僕にとってはその言葉だけで十分だった。
クレアンヌさまや、上からの指示であり、僕を籠絡するように仕向けられたことは否定していない。
かつ、お屋敷での従者の進退を握る人物であるというヒントまでいただいたのだから。
「わかりました。
でも、貴女はお屋敷から追い出されてることはありませんので、安心していてください」
「どうして、そう言い切れるのですか?」
「サイネリアさんは僕にバレていないことにしてください」
「それって、つまり・・・・?」
「先程の件は無かったことにして、僕に好意をよせるフリを続けてください。
そのお方が僕を見ている時に、フリをしかけてください。
そうしていただければ、僕としてもアテをつけやすく、サイネリアさんの体裁も保たれます」
「芝居を打つ、ということですか?」
「ええ。
ですが、サイネリアさんが嫌というのでしたら、時間はかかりますが他にも手はあります。
協力してくださらなくても、僕はその方を探し当てることは出来ると思います」
「私がフィーロ様に協力できることがあれば、できる限り協力させてください。
先程のご無礼の償いも兼ねて、できることはいたします。
でも、1つ聞いてもいいですか?」
「ご協力いただけるのでしたら、非常にありがたいです。
どんなことですか?」
サイネリアさんの僕を見つめる瞳に不安の色が混じる。
「あの夜、ドネットとは何もなかったのですよね?」
「もしかして、帰ってこなかった日のことをおっしゃっていますか?
それなら、僕とドネットさんの間に、そういった関係値はありません。
もしかして、お世話係の間で僕達はそう見られているのですか?」
「あの、いえ・・・それは、その・・・先程もほら、膝に乗せられていましたし、密着していたから・・・その・・・少しは親密な間柄なのかと・・・・・その・・・・・・」
「そうなんですね。
でも、違いますからね?」
「女に、興味はありますか?
私、とかにも・・・少しはあったりしますか・・・?
いえ・・・私のような薄眼に・・・興味なんてありませんよね・・・・・・」
サイネリアさんは途中から声のトーンが下がり、目をぎゅっと
瞑った目から頬を伝う雫が小さなテーブルに滴った。
「この瞳のせいで、この瞳のせいで私は・・・
5歳の時、実の両親に捨てられ・・・
この街の裏路地で孤児となりました・・・・・・
この瞳のせいで・・・
誰も私を、本当に愛してくれる人なんていないと・・・そう思い知ったのです・・・・・・
クレアンヌさまのお爺様であるハルト伯に拾って頂いても
この目の呪縛からは逃れられませんでした・・・
ハルト伯様がお亡くなりになり
ブロッサムベリー家の当主になられたクレアンヌさまのお父様は
私のこの目を忌み嫌っていました・・・
私には光の射す窓のない部屋があてがわれ
最底辺の庭の雑用として日々を過ごしました
ハルト伯様の代で雇われた庭師のカシム老爺だけが
私の唯一の話し相手でした・・・
カシムは私に、暗い顔をするな、笑っていろと
何度も、何度も、来る日も、来る日も・・・・亡くなるその日まで、何度も・・・・・・
カシムの葬儀の時
カシムが私に残してくれたその言葉を思い出し
私は笑う練習をしました
そして水鏡に映る私に気づいたんです
めいっぱい笑った顔なら
この目を見せずに居られる
カシム老爺が亡くなって庭師の後任を決める時
屋敷内の花の手入れを受け持っていたアルペローゼが後任として来ました
これまでずっと庭仕事をしていて、1番カシムと一緒に庭を手入れしていた私ではなく
たまに屋敷に飾る花や、ハーブの採取に来るだけのアルペローゼが後任です
旦那様は余程私を、私のこの目を嫌っていたのだと思います
何度か、この目をえぐり取ろうとナイフを手にしたこともあります
そんな私に、アルペローゼは言ってくれたんです
『カシムさんはいつも、あなたに笑っていてと言ってくれていたわ
私も、あなたの笑顔はとても素敵だと思うわ
カシムさんに感謝ね』
それから、庭の仕事をアルペローゼが私を手伝う形で覚えていってくれました
今でもまだ、この目は憎いですが、笑顔でいる時やアルペローゼと一緒にいる時だけは、その憎さを忘れられます
2人で庭仕事をしていくうちに、アルペローゼは生まれて初めて、私を対等に扱ってくれる友達になりました」
瞳からは涙が溢れていたが、呼吸のリズムは穏やかになりつつある。
僕はサイネリアさんの瞳から目をそらさずに続きを促した。
「私は文字が読めず、もとろん書くこともできませんでしたが
アルペローゼは読むことも書くことも出来たので
庭仕事に必要な道具の新調はアルペローゼから屋敷に申請してくれました
私とアルペローゼ、どちらが欠けても庭仕事はできなかった
旦那様か御病気で亡くなられ、クレアンヌさまが引き継いだ時は、屋敷を小さくするのに庭の多くが減らされました
これまで庭仕事で手一杯でしたが、庭が小さくなり、私とアルペローゼの手も空きがありました
その頃から、庭仕事の他にも徐々に屋敷の中での仕事も増えてきていました
そこへ、あなたが、フィーロ様がやってきました」
サイネリアさんが真っ直ぐに僕を見つめ返す。
その目から溢れていた涙はいつの間にかおさまっていた。
そして、これまで記憶に馳せていた焦点を僕にしっかりと合わせて、サイネリアさんは続けた。
「フィーロ様がやってきた次の次の日、私とアルペローゼはメイド長に呼び出されました
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