第49話 立場

 ガシャン!!!!ゴトッ!!


「うぐぐ・・・苦し・・・・・・」


 男は胸ぐらを捕まれ、膝をついて苦悶の表情を浮かべている。

鼻と頬が真っ赤になり、吐息もここまで臭ってきそうなほど酒臭いだろう。

苦しそうな表情の男。

その男を助けに入る者は誰もいない。

店内で、みな唖然としてその光景を見守っていた。



──ほんの数分前


 今日は初日以上の盛況ぶりで、何周目か数えていられないくらい卓を回っていた。

さすがに酒も料理も底を尽きるんじゃないだろうか。

そうあって欲しいと、疲れのせいで少しだけ思った。


 それにしても、今日はジュリーのおかげで、まだ1度もボディタッチをされていない。

酔いの回り出した店内では、四方八方からハラスメントハンドが迫り来るものの、機敏な反応ではたき落とすジュリーの鉄壁があった。

まだ閉店まで時間はあるので、鉄壁が最後まで維持できるかは分からない。

しかし、ナンシーさんですら今日は既に2,3人、ドースさんの元に召喚しているのに、僕とジュリーはまだ0人なのはさすがだと思う。

僕自身もジュリーの死角はなるべくカバーしようと努めている。


「お飲み物や追加のご注文はございましたら、合図をくださると助かります」


 僕は店内を見回しながら声掛けをした。

厨房の方を見ると、なかなか回すのが厳しそうだ。

まだ運んでいない料理が大量にある。


「ジュリー、料理を運ぶのを手伝ってくるけど、1人で大丈夫?」


「う、うん。

たぶんもうメニューは覚えたから大丈夫。

気をつけてね」


「ごめん。

ジュリーも気をつけて」


 そう言って僕は厨房に1人向かって行った。

厨房はカーテンに仕切られているが、ナンシーさんやエルミさんが頻繁に、たまにマスターが出入りするので、中の様子は結構見えている。

エルミさんが新しく入った注文を走り書きしながら、ドースさんから調理済みの皿を受け取る光景を見て厨房に入る。


「すみません。

僕もお料理を運ぶのを手伝います」


「ありがとう、フィーリスちゃん!

今手が欲しかったの!」


 エルミさんが珍しく高い声で歓声を上げる。


「これとこれとこれを、8番にお願い」


 手にしたのはプレート2枚とボウルが1つ。

両手が塞がるけど、8卓なら厨房の近くだからきっと大丈夫。


「いってきます」


「ありがとう、お願い〜」


 エルミさんが笑顔で送り出してくれた。

ハミルさんも親指をたてているのが視界に入った。

マスターとドースさんは調理に集中していて、それどころではないようだった。


「ご注文の品をお持ちしました。

しっかり噛んでお召し上がりくださいね」


「フィーリスちゃん!

もしかしてこれ、フィーリスちゃん特製かい?

だったらおじさん嬉しいな」


「すみません。

私は接客係なので、調理は厨房係が担当しています。


ご期待に添えず申し訳ございません」


「そうか、残念。

味は良いから別に良いだけどよ。

がんばんな」


「ありがとうございます。

美味しい料理とお酒をお楽しみください」


 僕はちらりとジュリーの様子を確かめる。

こう、離れたところから見ると、結構お客にガン見されているんだな。

ジュリーの周りのお客達は、お酒や料理を片手に熱心にジュリーに視線を向けている。


 ふと、見回すと、数名のお客と目が合った。

いや、数十名?

みんな僕を見ている。

目が合う人もいれば、顔以外の所を見ているのだろうか、視線が合わないが明らかにこちらを見ている人もいる。

一応は愛想笑いで誤魔化したけど・・・・・・。

これまで全く意識してなかった。

だけど、もしかしてずっとこんなに見られてた???

急に背筋が凍るように冷たく感じて、身震いしそうになるが、なんとかこらえる。

注目を浴びるのも無理はない。

僕だって客として店に入って、もし自分好みの店員さんがいたとしたら・・・。

いたとしたら、目で、追ってしまうだろう。

それは自然とそうなるだろう。

ましてや、この店は給仕服がマスターの趣味でカスタマイズされた特別仕様だ。

随所にお客の目を引く意匠が施されていて、これを着ていれば並の女の子でもきっと。

いや、僕のような女装ですら注目の的なのだ。



 フリルとリボンがあしらわれたベッドドレス

 動きやすさのため髪は結んでおり、うなじが見えている

 首元のリボンフリルチョーカー

 鎖骨が見えるVネック(人によっては谷間もみえる深いV)

 胸元は縦射線のあるニット生地で見た目から胸を強調されるデザイン

 胸元と脇やお腹の生地や色合いを変えており、それぞれの良いところを強調するようなデザイン

僕のは逆に胸元とお腹の生地を繋げて一体化しているデザイン変更が加えられている(アヌエスさん考案)

 腕は肩周りが膨らみがあり、二の腕の途中からは腕にフィットした伸縮素材

 手首にも小さなフリルバンド

 肩からお腹前に掛けて、大きめフリルのエプロンがあり、可愛さに振られたデザイン

 背中は肩甲骨の形が見えるくらいピッタリとフィットする伸縮素材でセクシーさを醸し出している

 前は結構ゴテゴテしていてお腹周りのボディラインはそれほど強調されていないが、後ろからはシルエットがかなりわかってしまう

 背筋が良くないと逆に恥ずかしい

 腰から下は、膝上丈の短いタイトスカート

 ガーターという初めて聞いたものが、ロングソックスと腰周りのベルトに接続されている

 ずり落ちやすいロングソックスがズレないようになっているのはすごいと思う

 ガーターというものの付け根とロングソックスの膝上部分がフリルバンドで隠されている

 ソックスが食い込むところは少し恥ずかしいので、隠れている安心感は少しある

 少しヒールのついたブーツで背筋が伸びる



 マスターの趣味は、女性からするとかなり特殊な趣向だ。

少なくとも、この格好で外を歩いている人は昼間見かけない。

この店に好んで務める女性が少ないのもうなずける。

ナンシーさんはこの服装は嫌っていないようだ。

勤めているエルミさんですら、厨房からあまり出たがらない。

人を選ぶ服装と、常にセクハラの危険が付きまとうのだから当然だろう。

その代わり、実入りはおそらく表通りで随一。

飲食店以外の働き口の実入りと比べても全然張り合えるし、勝る可能性がある。

僕は薬を作って露天で売っているが、1晩だけで数週間以上の稼ぎだった。

準備するのは身一つだから余計なコストもかからない。


 しかし、この精神的な負担は、果たして割に合うかは人によるだろう。

少なくとも僕は、こんなに視線を集めることに慣れていない。

身震いはなんとかこらえたが、その後の僕の足取りに、確実に枷をつけた。

それでも、ジュリーは1人奮闘しているのだ。

僕が巻き込んだのだ。

なんということだろうか。

こんなことにジュリーを巻き込んだんだ。

足が震えるのが、止められない。

視界が少しぼやけている気がする。

気にしていられない。


「すみません!

ジュリーのところに戻ります!」


 それだけ厨房に伝えて、僕はジュリーの元に急いだ。

少しでも視線を僕に向けないと!

そう思った。

客席の合間を縫って、もう少しでジュリーの隣にたどり着く。


 ゾゾワ・・・・っ!


 全身の毛が総毛立つように感じた。

完全なる油断。

その場で凍りついてしまい、1歩も動けなくなった。

不思議なことに、喉から声も息も全く出てこない気がした。

目の前で振り返るジュリーの顔つきも、溢れ出てくる涙で全く判別がつかなかった。


 ボディタッチと言うには生やさしい。

太ももの裏からお尻にかけて、ねっとりとした手つきで撫でられた。

それで僕が動けなくなったことをいいことに、片尻を撫で回すばかりか、つかまれた。

タイトスカート越しにお尻の形が変わるのがわかるくらい、しっかりとつかまれた。


 滲んだ視界の中で、次の瞬間、ジュリーがいたであろう場所にその姿がなくなった。


 ガシャン!!!!ゴトッ!!


「うぐぐ・・・苦し・・・・・・」


 僕の真横でけたたましい音が響き、男性の苦々し気な声が聞こえた。

僕のお尻が気持ちの悪い手から解放されたのは、けたたましい音が鳴り響くと同時だった。


「あんた、名前は?」


 普段の調子とは180度異なる声音が、ジュリーの口から発せられた。

今しがたまでの可愛らしい女の子の表情はなりを潜めて、替りに鬼の形相ぎょうそう顕示けんじさせたジュリーがいた。

もちろん、僕には見えていなかったが、後で聞いた話である。


「い、息が・・・助け・・・」


「名前は?って聞いてんの!」


「ブベッ!!!?」


 男の悲鳴と共に重たい音が鳴る。


「わ、わかった!

なま、名前はヤービンだ!

謝る!謝る!

だから殴るのはやめてくれ!

すまなかった!

本当に、本当にすまなかった!

さ、酒に呑まれちまったんだ!

許してくれ!

なんでもするから!

だ、誰か!誰か!

この凶暴な女から助けてくれ!

誰か!」


 店内が固唾を飲んで見守る中。

男は必死に胸ぐらから手を振り払おうとするも、上手く払えず、じたばたと藻掻もがきながら誠意のない謝罪をわめき散らす。


 騒ぎを聞きつけたのか、厨房からドースさんが歩み出てくる。

いく人かから安堵の吐息が漏れた。

いつもなら、セクハラ犯は首根っこを捕まえて、店の裏手に連行される。

が、今はドースさんと頷き合い、ジュリーも一緒に店の裏手へついて行ってしまった。

捕まえられた男は最後までわめき散らしていた。


 店の床に力なくしゃがみこんでいた僕に、ナンシーさんが近寄ってきて、厨房に避難させてくれた。

エルミさんに僕のことを頼んでナンシーさんは客席に戻っていった。

客席からナンシーさんの陽気な声音が聞こえて、店は日常を取り戻していった。

ナンシーさんもドースさんも、そしてエルミさんやハミルさん、マスターも、これまでずっとそうしてきたのだろう。

誰一人として、この店には欠かすことのできない心の拠り所のようなものを持っているだろうなと、どこか納得した。

そして、せっかくアヌエスさんが気合いを入れてメイクしてくれたのに、涙で台無しにしてしまったこと。

巻き込んでしまったジュリーにまで守られて、すごく情けないこと。

何より、先程の客席での視線や、誰とも知れない男の気持ちが悪い手の感触。

僕の中で整理しきれないやりきれなさや不安、恐怖、悲しみが溢れてきて、女の子のように、涙がとめどなく溢れ出てきてしまった。

隣で僕を慰めるように、優しく頭を撫でてくれるエルミさん。

途中から裏手から戻ったジュリーも加わり、2人して僕の涙が止まるまで撫でてくれた。

困ったことに、それすらも僕のやりきれなさの一因で、小一時間ほど僕は立ち直れずにいた。

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