異変
第50話 気分転換へ
僕はダーラムの街の外に来ていた。
昨日はあの後、メイクも崩れてどうにもこうにも元気が出なくて・・・。
結局、店仕舞いの時間まで厨房の奥の控え室で1人座っていた。
エルミさんもジュリーも、僕の涙がおさまると、お店の仕事に戻って僕の分まで頑張ってくれていた。
そんな体たらくな僕に、マスターが今日は酒場のアルバイトをお休みして、気分転換をしてくるようにと言われた。
ジュリーは予定通り今日も出勤する。
店からの帰りに、僕が巻き込んだのにごめんと謝ったら、
「むしろフィーロには感謝してるんよ!
うち、生まれてこのかた、一日でこんなにぎょうさん稼いだことなか」
と言っていた。
その手にはお給料の硬貨がしっかりと握りしめられていた。
ジュリーの言葉は、方言が強すぎてちょっとよく分からなかったが、少なくとも僕に恨みがあるようには見えなかった。
この街の住人の感覚でも、1日で金貨1枚相当の稼ぎは破格なのだろう。
そういえば、ドースさんが休憩の時、控え室に座り込んだ僕にジュリーのことを話していた。
なんでも、店の裏手に僕のお尻を弄んだ男を連れていった時、ジュリーがどうしてもその男だけは自分がやると聞かなかったそうだ。
その目には、メラメラと炎が揺らめき燃え盛っているようで、巨漢で剛腕のドースさんですらその時のジュリーには気負されてしまったそうだ。
いざ締め上げるときも、相手が徹底的に反省するまで、その目の炎は消えなかったらしい。
ドースさん曰く、
「何かあっても、ジュリーちゃんには、逆らわない方がいいぞ」
ということだった。
ドースさんの茶化すでもなく、小声で真剣な声音、顔色から、僕は無言で頷くしかなかった。
だけど、ジュリーが仇を討ってくれたとわかった時、僕の心の中の
「フィーロ様。
本日は街の外にとやって参りましたが、いったいどのようなご用でこちらに?」
清々しい青々と茂る草原と低い雲。
初夏の太陽が照りつける強い陽射しに汗を拭いながらも、ドネットさんの表情に苦いものはなく、風景と相まってキラキラとした光の装飾のひとつでしかなかった。
「今日は薬草を摘みにきました」
今日は馬車があるので、たくさんの薬草を持ち帰れるだろう。
今朝の朝食時にマルコー夫人へ、街の外に行くことと、荷馬車の手配を銀貨10枚で頼もうとした。
すると、主人の客人の頼みだから、お代はいらないと硬貨を突き返されてしまった。
そしてさらに、お供にドネットさんをつけてくれた。
しかもドネットさんに、体力がいることを申し付けても構わないという好待遇だ。
そういう訳で、まずはお目当ての薬草を探す。
馬車を降りて川沿いに散策すると、この時期に5弁の小さな花を複散形花序の形で咲かせる。
セリ科の植物で、葉や茎に紫赤の斑点があるのが特徴。
この植物は不快な臭気を発しているため、虫や獣はあまり近寄らず、実際に植物全体に毒性の強いアルカロイドを含んでいます。
生命力は強く大きいもので1.5m〜2m程まで成長する。
用意した手袋をしてから、植物全体を刈り取る。
馬車に戻り、待機してくれていたドネットさんにそれを見せる。
「フィーロ様、これは?」
「これは
毒性が強いので、素手で触ることはそ奨めしませんが、これとサルビアを集めてきて欲しいのです」
「これと、『サルビア』、ですか?」
「あ、えぇと、セージのことです」
「え?セージってこんなところに生えているのですか?」
「生命力の強いサルビアという植物の品種の中で、いくつかがセージと呼ばれています。
セージは香りが強いので、草食動物もあまり好んで食べないので、生き残って繁殖します。
場所によっては雑草として駆除対象になっていたりします」
「お詳しいですね」
「よく使う商売道具なので、自然と詳しくなりました」
「市場に売られているセージの見た目を探せば大丈夫ですか?」
「はい、それと、今時期でしたら赤色や紫色などの花がついている種もあるので、花を目印に探してください。
花を咲かせられる株は栄養状態が良く、その薬効も十分なので、この時期はよく花の咲き始めを狙って収集したりしています」
「かしこまりました。
お任せください」
こうして二手に分かれて薬草採取を開始した。
処方を間違えれば、人を殺めることもできる強力な毒草ですが、鎮静剤や痙攣止めとして極々少量を処方することで、薬草として使用することもできる。
危険性が高いものの、その扱いに精通すれば薬にもなるという種類の取り扱いに注意な植物。
対して、セージはよく
ソーセージに混ぜ込んで肉の腐敗を抑制したり、料理の香り付けや臭み消しに使われている。
雑草と言われるくらい道端に自然に生えているが、知らない人は見過ごしてしまう。
その生命力の高さは、人が飲んだり手当に使っても効果が期待でき、不老長寿のハーブとして薬師なら知らぬ者はいない。
「長生きしたければ5月にセージを食べなさい」とある王国の格言に残るほど有名なセージですが、その格言に足る効果がある。
それは、抗炎症作用である。
咽頭炎、歯肉炎、口内炎、口腔粘膜の炎症などの消化器官の炎症を抑制できるばかりか、傷口に生薬を塗ったり、ニキビに塗ると、その高い抗炎症作用で炎症を緩和する。
消毒作用もあり、食中りや下痢、腹痛などにも、有効な薬効がある。
消化器官の調子を整えてくれるため、肌荒れやアンチエイジングにも効果が期待でき、美肌に良いと言われ、貴族のご夫人にも人気のハーブである。
花を付ける初夏から夏にかけてのこの時期、花を目印にできるため、素人でも状態の良いセージを収穫するのに適している。
今日はできる限り大量のセージを収穫して、薬を作り、ストックを増やしておきたいと思う。
――2時間後
「ドネットさん、こんなにたくさんのセージを集めてくださってありがとうございます!」
目の前には荷馬車の荷台に満載のセージとドクニンジンの山があった。
「はじめは植物を見分けるのに苦戦しましたが、慣れてくればこの程度の収穫はそれほど難しくありませんよ」
「ほんとうに、ドネットさんがいてくれて助かりました!
これだけあったら、クレアンヌさまにもたくさんお
「それは良かった。
私もお手伝いした甲斐がありました」
「お屋敷に戻りましょうか」
「ええ。
しかし・・・フィーロ様。
1つ問題が・・・」
「どんな問題ですか?」
「荷を積み過ぎて、乗る場所がなくなってしまいました・・・・・・」
「あ・・・・・・・・・」
この後、僕はドネットさんの膝の上に乗せられ、御者席に無理やり乗り込んでお屋敷まで戻った。
街に入る門番の行列の前や街中では、僕とドネットさんの親子のような体勢に、奇異の視線が投げかけられることもあり、周りを見ないように見ないようにしていた。
ドネットさんは涼しい顔色を何一つ変えることなく、むしろ少し嬉しそうだった?
そんなこんなでお屋敷に到着して、ドネットさんに抱えられたまま御者席から降ろされる。
舌を噛むといけないのと、恥ずかしいのでドネットさんの肩に顔を伏せていたが、地面に降ろされてようやく顔を上げられる。
顔と視線を上げると、3人の視線と交わった。
アヌエスさん、ジュリー、サイネリアさんの3人が、お出迎えにお屋敷の入り口で待っていたのだった。
「おかえりなさいませ・・・・・・フィーロ様・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
そのなんとも言えない冷ややかな視線と声音はいったい・・・・・・。
「た、ただいま帰りました・・・」
僕は沈黙と視線に、陽射しはすこぶる暑いはずなのに、手から冷や汗が止まらない。
「フィーロ様は、女装ばかりか、男色の気も、御有りなのですね」
ジュリーの声だ。
でも、嫌によそよそしい口調だ。
僕はいつものジュリーの方が良いと思う。絶対に。
「なんだ~。そうだったのですね、フィーロ様。
私たちは用がないので、明日からはお世話係も男性で固めてもらうように、メイド長へ進言してあげますよ~」
サイネリアさんも、陽気な声音とは裏腹に、視線の温度が見るからに低い。
「フィーロ様・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
あの、アヌエスさん・・・・・・。
そのとても悲し気な瞳をされていますが、違いますよ?
「あの、ええと、違うんです。
荷物がいっぱいになってしまったので、仕方なくドネットさんの膝に」
言い終える前に後ろから声がした。
「いやあ、フィーロ様がどうしても(薬草をたくさん採りたい)とおっしゃるので、私も頑張ってしまいまして」
そのドネットさんの一言で、3人の発する空気がより一層冷たいものになった。
「あ、いや、その、ご、誤解です!!誤解ですから、みなさん!!!」
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