第45話 さる貴族の噂
午後2時、窓の外から教会の鐘の音が2回聞こえた。
僕は僕の寝室として宛てがわれた部屋に備え付けられている机を借りて、報告書を作成していた。
椅子に座ってものを書くというのは、案外体力を使うものだと思い知った。
僕は普段は薬の調合方法を忘れない為に、走り書きの
短い文章をポツポツと思いついた時にざっと記すだけなので、長時間にわたって書面を書くのはなかなかに骨の入る仕事だった。
普段とらない机での物書きの姿勢と、筆をもつ腕が力みすぎてしまうせいもあるだろう。
普段の
他の人に見せるもので、正式に受けた依頼なのだから、きっちりと綺麗な文字で誤字脱字などは以ての外だ。
──
噂話を耳にした場所:フラワーショップ メインストリート ウェストイースト ダーラムセントラル
噂話を話していた人:フラワーショップ店員
ダーラム交易都市国家の貴族階級のとある男女の噂。
B家は数年前に当時の当主夫妻が亡くなり、1人娘が当主を継いだ。
その当主は幼い頃から体調を崩しがちで、それより数年前から脚が自由に動かないような病にかかられた。
車椅子での生活を強いられ、これまでのB家の家業を
B家の当主は、親の代に取り交わした、さる名家の跡取り、A郷との婚約をされていた。
しかし、B家の現状を
A郷は書面に了承されたため、婚約相手を探す必要があり、街の貴族達が住まう
この騒動があってからも、A郷は貴族階級が
上流階級の会合で
A郷の力は、この国の3分の1の兵力を
また、王家の遠縁に当たり、名実ともに貴族の中の貴族だ。
一方、B家はと言えば、古くから通商大臣などを複数輩出していたので、名門といえなくはないが、言ってしまえば至ってありふれた貴族家系の1つにすぎない。
A郷との成婚が数年前に成立していれば、通商と兵力の相乗効果でどちらの家にとっても勢力を大いに伸ばせる良い機会であったはずだが。
今となってはB家との成婚に大きな意味はない。
A郷側はより多くの選択肢があり、1部の声としては、もっと手広く展開している通商に長けた貴族との新たな婚約、そして成婚が望まれていた。
その最有力例は、今この街でもっとも通商を担っているL侯爵家だろう。
L侯爵家は当代のF様が1代でのし上がったと言っても過言ではなく、F様のおかげで今の活気ある街の通商があるとも言われている。
F様が若くして編成された第57盗賊討伐遠征隊の成果が目覚しく、その功績を受けて王家から貴族階級を1つ引き上げられた程だ。
当時のことは街中で知らぬ者はいない。
盗賊の首領を捕らえ、処刑が敢行されたのは記憶に新しいが、あれから既に18年もの歳月が経っている。
残念なことに最近また盗賊による被害が目立ってきている。
F様の仕切る通商会でも被害が度々出ており、近々また、F様が盗賊討伐遠征隊を編成するかもしれないと噂されている。
兵の扱いにも通じており、尚且つ通商では莫大な影響力を示すL侯爵家と、王家の遠縁であるA郷が結ばれれば、この国の行く末は明るいと見ている者も多いらしい。
──
ここまで報告書をまとめたところで、僕の脳裏にフラワーショップでの出来事が思い出された。
この先の話は、どうやってまとめようか。
──今日の午前中 フラワーショップにて
「花屋の私からすれば、今のこの国は充分豊かで、花もよく売れているから、A郷にはご自身の想いを素直に体現してほしいと思うよ。
だって、ねぇ、聞いておくれよ。
L侯爵家のご令嬢のH嬢なんて、酷いもんだよ。
家業の知識や教養はまるで無いって噂だし、夜の街で男をはべらかして飲んでいたとか、通商の家系なのにも関わらず数字が苦手だなんてお笑い草よね。
礼儀作法も怪しいものだから、きっとA郷に嫁ぐことになったとしても、単なるお飾りとしてもまともにやってくれないでしょうね。
それに引替え、B家の当主様であれば、教養や礼儀作法はもちろんのこと、通商の細事も全てお1人でこなせる程の完璧美人ですもの。
A郷でなくても、当主様を欲しがっていた貴族は多かったのよ。
脚のことさえなければ、本当に美男美女の街中が認めるお2人だったのに・・・。
神様も酷いことをするわよね」
話好きの店員さんは、大軍が射る弓矢のように言葉の雨を延々と降らせる。
僕は相槌もおざなりに、
「それでも、A郷の動向は不透明で、力を
それだけの権力者で王家にも武功を認められているもの。
でもねぇ、国内の勢力を増すためには、L侯爵家との縁談も悪くない手として支持されてもいるわねぇ。
貴族様方の色恋事情は本当に複雑よねぇ。
これからもお客からたくさん情報を仕入れるつもりだから、良かったらまた来てね。
坊やとガールフレンドさん」
というのも、ジュリーが手を振り回した拍子に、飾られていた花瓶が落下して、寸での所で僕が受け止めた。
ジュリーがその時、何を言っていたかは、あまり聞こえていなかった。
お店を出たあと、ジュリーはしばしシュンとしていた。
ジュリーは僕に『何か聞いたか』と、しきりに小声で恐る恐る尋ねてきた。
しばらく何か聞いたか考えてみたが、思い浮かぶものはなかったので、無作法ながら逆に聞いてみることにした。
「何かって、何?ジュリー?」
どうやらジュリーは、僕のその言葉で僕が怒っているように思ったらしい。
ものすごい慌てようで、目の色を白黒させていた。
「ジュリー、僕は怒っていないよ?
だって、花瓶が落ちかけていて、悪いけどジュリーが何を言っていたのか聞こえなかったんだ」
僕は顎に手を当てて、よくよく思い出そうとするも、本当に覚えていなかった。
耳には届いていただろう、隣にいたんだし。
でも、僕は僕で『花瓶が危ない』とか言っていた気もするし、ジュリーがその時言ったことを僕が認識できていたらちょっとすごいと思う。
「ごめんね、フィーロ。
さっきはちょっと慌てちゃって、それで・・・」
たしかに周りをよく見て、ぶんぶんと腕を振り回すのは控えて欲しい。
でも、結果として花瓶は割れてないから、僕が怒り続ける理由もない。
「大丈夫、気にしないで。
僕もあんまり気にしてないよ(花瓶のこと)」
その直後、ジュリーは急に泣き出してしまったのは衝撃的だった。
僕が泣かせてしまったのは間違いないんだけど、どうしてなのかは全く分からなかった。
どうしていいか分からずオロオロとする僕に、泣きながらジュリーが僕の胸をポクポクと叩いた。
その手にほとんど力が入っていなくて、僕は昨日アルペローゼさんがしてくれたように、ジュリーの頭を優しく撫でてみた。
「ごめんね、ジュリー。
僕、悪いこと言っちゃったんだね?」
「・・・ヒック・・・・・・・・ウゥ・・・・・がうの・・・
・・・・ーロは・・・・・・・ウゥゥ・・・・・るくないのに・・・
・・・ふぇぇ・・・・・止まんないよぉ・・・・・・・・」
嗚咽混じりに何か伝えようとしてくれているらしい。
結局泣かせてしまった理由はわからなかったけど、頭を撫でていたら徐々に落ち着きを取り戻したジュリーだった。
目が腫れてメイクも崩れていて、情緒不安定な状態でこのまま街を連れ回すのは酷だ。
今店員さんから聞いた話もまとめたかったので、一旦お屋敷に戻ることにしたんだった。
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