第44話 アルペローゼさん

 僕はいつのまにやら定番になったシルク寝間着パジャマに着替せかえられていた。

朝の日差しがカーテンの隙間から射し込む。

悪い事をした。

寝てしまった僕の介抱をしてくれていたんだろう。

部屋には僕を含めて3人いる。

ベッドの脇に椅子があり、アヌエスさんがベッドに突っ伏すように寝息を立てている。

扉の傍にも椅子があり、そこにはアルペローゼさんが静かに本を読んでいた。

僕が目を覚ましたことにはまだ気づいていないようだ。


 そっと体を起こすと、アルペローゼさんと目が合った。

僕は唇に人差し指を当てて、アルペローゼさんの開いた口を制した。

しかし、アヌエスさんの眠りは思っていたより浅かったようだ。

顔を上げ、目を擦る。


「おはようございます、アヌエスさん、アルペローゼさん」


「フィーロ様・・・」


 アヌエスさんはまだ完全には覚醒していないようだ。

ぼんやりと僕の顔を見つめている。

アルペローゼさんが本を閉じ、こちらにやってきた。


「おはようございます、フィーロ様。

お加減はいかがですか?」


 アヌエスさんの横に立つアルペローゼさんをみて、ハッとした様子でアヌエスさんが目を見開く。


「フィーロ様!

お体は大丈夫ですか!?

どこか痛い所は?!」


「落ち着いてください、アヌエスさん。

僕はもう大丈夫です。

ありがとうございます」


 僕は顔の前でブンブンと腕を降って、大丈夫なことをアピールした。


「それよりも・・・。

皆さんには心配とお手をかけさせてしまったようですね・・・」


 僕は改めて部屋を見回して、昨日車椅子で運ばれた時の衣服や化粧はきれいさっぱり取り払われていて、冷や汗で濡れていたであろう背中も綺麗に洗われている。


「フィーロ様のお世話ができることは、とても光栄なことですから、あんまりお気になさらないでください」


 アルペローゼさんが僕の頭を撫でながら優しい声音で慰めてくれた。

気恥しいが、拒むのも少し違う気がして、僕はそのまま撫でられていた。


「むしろ・・・」


 アルペローゼさんが呟くので、僕は続きが気になってしまい、アルペローゼさんを見上げた。


 突然アルペローゼさんの両腕が僕の頭の後ろに周り、僕を抱き寄せた。

抱き寄せられたまま、また頭を撫でられる。

加減を知っているのか、息ができないことはない。

ジュリーとは違う大人っぽい香りに包まれる。


「むしろ、もっと私たちにお世話をさせてくれた方が尽くし甲斐があるのよ?

こんなに可愛い方のお側仕えができるなんて、私たちは幸運なんですもの」


「あ、ちょっと、アルペローゼお姉様?」


 アヌエスさんの慌てた声が聞こえる。

しかし、僕はこんなふうに誰かに抱きしめられて、頭を撫でられたことがない。

どうしていいのかがわからないのが半分、感じたことのない心地良さも半分。

僕は大人しく頭を撫でられていた。

母様が生きていたら、幼い頃にこんなふうに頭を撫でてもらうこともあったのだろうか・・・


 ひとしきり頭を撫で回され、解放された。

アヌエスさんを見やると、大人しくしていた僕を見る目が少しだけ不満そうにしている。

アルペローゼさんは上機嫌な様子だ。

アルペローゼさんが何やらアヌエスさんに耳打ちしだしたが、一体何を話しているのだろう?

内緒話を終えたアヌエスさんは、心なしか機嫌がなおったようだ。

僕もアルペローゼさんに包み込まれるように抱きしめられて、頭を撫でてもらったことで、少しだけ気持ちが晴れた気がする。


 部屋にあるクローゼットから、アヌエスさんが着替えを取り出してきてくれた。

ベッドからその様子を垣間見ていたら、昨日着ていた給仕服もかけられていた。

シワ1つなくアイロンがけされていて、やはり洗練された暮らしというのは、多くの人の手によって支えられているのがよくわかる。

おそらく、あの給仕服は一昨日の夜から昨日までに、アヌエスさんが仕立ててくれたのだろう。

縫い目の細やかさ、複数の縫い方が適所で使い分けられていて、脅威のスピードで仕上げられたにしては完成度が高い。

普通にあの服を仕立てるなら、熟練の人でも1週間ほどかかりそうなものだ。

全体の監修はアヌエスさんがして、他の方にもある程度手伝ってもらっているのかもしれない。


 2人に体を拭き清められ、着替えを手伝ってもらう。

毎日繰り返しお世話をされていると、不思議なもので、少しだけ慣れてきた。

少なくとも、会話を交わせるほどまでには余裕が出てきた。


「アヌエスさん、あの給仕服はやはりアヌエスさんが?」


「あの服は・・・。


クレアンヌさまのご用命で見本通りに仕立てただけなので、私が作ったと言えるようなものではございません」


「やっぱり、アヌエスさんが仕立ててくださったのですね」


「やっぱりとは、どうしてですか?」


「あの、なんというか。

上手く言えるかわかりませんが、胸周りとか、腕周り、腹回りがあつらえられたようにピッタリで、とても動きやすかったです」


「それは良かったです。本当に。


たしかに・・・お店の方から拝借されてきた見本は、フィーロ様の体型には全くあっていませんでした。

私が仕立てる時はきっちりとサイズを測って、着る方に合わせています。

フィーロ様の体は、初日にしっかりと測らせて頂きましたので、あのクローゼットの中のお洋服でしたら、全て体に合うはずです」


「そんなことまでしていただけるなんて、僕には少しもったいない待遇です」


「フィーロ様、それは違います」


 興奮気味のアヌエスさんの方にそっと手をおいて、アルペローゼさんが追加補足する。


「そうですよ、フィーロ様。

クレアンヌさまは、昨日もフィーロ様のことを褒めておられたと伺いました。

私が兄から聞いた話では、とても芸達で魔法の知識も宮廷仕えと比較されても遜色がないと、それから薬の調合もできるとなると、宮廷仕えの魔法士や薬師を上回る逸材かもしれないと仰っていたようですよ」


「そうです。

フィーロ様はすごい方なので、そんなすごい方の服を作れることは、私にとって至上の喜びです!

しかも、街でも随一のおしゃれなお店の給仕服まで触らせていただいて、とても感謝しております」


 アヌエスさんの興奮はおさまっていなかった。

ちょっと、アヌエスさん。

布巾越しとはいえ、僕のお尻を撫で回しながら鼻息を荒くされるのは、少しだけ勘弁していただけないでしょうか。


「サイネリアさんとジュリー、さんは?」


「昨夜はサイネリアとジュリーがフィーロ様のお世話をほとんどしてしまったので、私たちはフィーロ様がベッドでおやすみになってから交代いたしました。

2人ともまだおやすみをいただいておりますが、何か2人に伝えたいことでもございますか?

よろしければ私たちからお伝えしますよ?」


「そうでしたか。

2人にはものすごく手間をかけさせてしまったので、ちょっと申し訳なくて・・・」


「こら!

フィーロ様は、私たちのお世話が嫌々、強制されているとお思いですか?」


「もしかしたら、誰かはクレアンヌさまのご命令で仕方なくされているかもしれないとは、思います・・・」


 コツン、とアルペローゼさんに小突かれた。


「違いますよ、フィーロ様!


私たちは、クレアンヌさまからお姉様へフィーロ様のお世話係の選任を任された時に、こぞって立候補した者です。

残念ながら選任から漏れた方々もおりましたし、任に着いた今でも、変わらず、いえ、むしろ選任される前よりも強く、フィーロ様のお役に立ちたいと心から思っております。

その事を、お忘れになりませんように、お願いします」


「それに、ジュリーは昨日、ものすごい浮かれようで、フィーロ様の寝顔をニコニコしながら眺めていましたよ。

サイネリアお姉様にしても、フィーロ様のお世話交代の時間になっても、ぜんぜん部屋に戻ろうとなさらなかったんだから!


フィーロ様が気に病むような事は一切ありませんよ」


「そういっていただけると、少し安心しました。

昨日のお2人には、次に会った時に僕から直接感謝を伝えたいと思います。

アヌエスさんとアルペローゼさんも、昨夜から看病してくださって、ありがとうございました。

おかげでこの通り、元気でいられます」


 感謝を伝えた時の2人の笑顔は、僕が正直に伝えて良かったと思えるものだった。

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