第35話 誘拐

 気がつくと、見知らぬ光景が視界に飛び込んできた。


 ドネットさんっ!!

「んんっんん!!」


 叫ぶようにドネットさんを呼んだつもりが、口に布が噛まされて頭の後ろで結ばれており、声を上げられない。

状況が飲み込めず、目の前にぐったりと横たわり、後ろ手に縛り上げられたドネットさんをみる。

ドネットさんの口にも同じように布が噛まされている。

左目の上にあざがあり、青くれ上がっている。

唇が少し切れたのか、乾いて赤黒い血が少しだけこびり付いている。

肩が大きく動いているので、生死に関わるような大きな怪我はしていないと思いたい。

僕の見立てでは、少なくとも衰弱はしていない。と思う。


 見渡すと薄暗い屋内で窓が1つ。

その窓から射し込む光は淡い色をしており、夜明けからそれほど経っていないと推測できる。

僕自身も縄で縛られ、手足の自由が効かない。

屋内とはいえ、随分薄汚うすよごれている。

蜘蛛くもの巣が張り付き、ちりほこりがつもった木箱が乱雑に置かれている。

黒塗りの金属製と思われる檻があり、中身は空だ。

奴隷でも入れるつもりだったのだろう。

隣の部屋から複数人の話し声が聞こえる。

くつわを噛まされているので、心の中で強く念じる。


|ヴィ ヴァレム ォグ コール メ エイナナ ミナ《Bli varm og kald med øynene mine》

【その目で熱と冷気をとらえよ】


 ドワーフ族の鍛治や彫金、革のなめしなどでよく使っている温度を視認する魔法だ。

隣の部屋に5人、窓のすぐ近くに1人、上の階に3人。

外に繋がる戸口だろうか、隣の部屋の奥の屋外にも2人いる。

数が多い。

さすがにドネットさんも1人では多勢に無勢だったのだろう。


 隣の部屋から2人、いや3人がこちらに歩いてきている。

視界に入らないところにドアがあったようだ。

ギィーと嫌なきしみ音をともなって、3人が入ってくる。


「しかし、参ったぜ。

上玉じょうだまの娘だと聞いていたからわざわざさらったのに、実際には小汚こぎたない服装の坊主と執事だけとはな」

「執事の方はバンジーの野郎の睡眠魔法の効き目が浅くて立ち向かって来るもんだから少し焦ったが、後ろから飛びついて動けなくしてよ。

顔面にキツいのを入れて、腹にもガツガツ入れたら気失いやがってこっちは全くの無傷よ」


「でも、2人ともいい顔してるんでしょう?見たいな~」


 声は2人が野太い男の声で、1人が媚びたように語尾を伸ばす女の声だ。

木箱の後ろから現れた3人組をにらみつける。


「おう坊主、起きたのか!

どれ、顔見せてみろ」


「んぐっ!」


 あごを太くて硬い指が鷲掴わしづかみ、無理やり持ち上げられた。

2人の男が僕の顔をまじまじと品定めする。

奴隷として売り飛ばす価値があるか、または高値に期待できなければ顔を見られたのだから、この場で息の根を止めるかだろう。


「お前、結構目の色が濃いな。生まれつきか?」


「ははっ!こんなボロい服装のやつに眼球移植するような金なんて持ってねぇだろ、ラッヂ」


「マーグの兄貴、ところがよぉ。

コイツの服をさっきメヤンのやつがまさぐってたんだけど、結構な額出てきたって大騒ぎしてやがったぜ」


「ああん!?いくらだ」


「銀貨25枚!!

メヤンからその金は押収しておいたんで兄貴の方から後で分配してくれ」


 ラッヂさんは自身のズボンのポケットをたたき、銀貨のジャラリという音をその場の皆に聞かせた。


「嘘だろ、おい!」


「マジだって兄貴!さすがはお貴族様の馬車だぜ!

乗ってるやつらはみんなこんなに大金持ってるならよ!

通る馬車通る馬車次々仕留めてきゃあ、俺たち大金持ちになれますぜ!」


「おい、坊主!お前、この金どうしたんだ?

貴族からぶんどったわけじゃあねぇよなぁ?

誰から貰った、手前の口で言ってみろ」


 マーグの兄貴と呼ばれた男は僕のくつわを解いて尋ねてきた。


 さて、どう答えたものか。

人さらいに正直に答えるのもどうかと思うが、この状況では答えなければどうなるかは分からない。

さすがに11人を相手にするのは難しい。

その中に魔法を使える者もいるとなれば尚更だ。

期を伺って逃げるにも、ドネットさんを担いで逃げられるだろうか。

運良く逃げ出せたとして、土地勘のない僕はここがどこなのかも分からない。


「はじめまして、マーグさん?ラッヂさん?

僕はヘテロフィロス・オスマンサスと申します。


僕の服に入っていたお金は、数カ月かけて僕が稼いだお金です。

僕は劇団にスカウトされたこともあるのですが、ちょっとした芸で路銀を稼いで旅をしています。


稼ぎのほとんどが銅貨なので、数カ月分をまとめて両替えしてきたところです。

よろしければそのお金で見逃しては頂けませんか?」


「ヘテロ?お前、旅芸人か。

それでお貴族様に招待されたわけか。

それで、どんな芸が得意なんだ?」


 食いついてきた。

芸ができるなら奴隷としての価値が高まるかもしれないと、大抵の人身売買人は詳細を知りたがる。

ついでに貴族の馬車に乗っていたこともうまく勘違いしてくれたようだ。


「坊や、お姉さん達に芸を見せてくれたら、うちで可愛がってあげてもいいんだよ」


「カーヤ!こいつは売り物だ!

さっさと売っぱらうんだ。飼う気はないからな」


「え〜!?こぉんなに可愛いのに売るのはもったいないわ!

マーグさんも私と一緒にこの子と楽しめばいいじゃない?ねぇ?」


 カーヤと呼ばれた女性はマーグ兄貴にしなだれ掛かる。

大人の女性の振る舞いで、完全にマーグ兄貴を誘っているような仕草だ。


「あ、兄貴!

今、それもいいかみたいな緩んだ顔してやがってましたぜ!?

マジっすか!?

こいつを高く売り飛ばしゃあ、結構な豪遊も目じゃねぇかも知れませんぜ!?」


 マーグ兄貴の股間が服の上からも分かるくらい盛り上がっている。

僕は何を見せられているんだ。


「うるせぇ、ラッヂ!女が居ねぇ手前は黙ってろ!

とにかく、こいつの芸とやらを見て見ないことには売るにも○るにも決めらんねぇ!

おい、ヘテロ!

さっさと芸を見せろ!」


「さっさと見せろと言われましても・・・、道具がないと芸ができません。

僕の背負い鞄リュックは無事でしょうか?

大事な商売道具が壊れていなければいいのですが・・・。

それと、もし芸をお見せしろとおっしゃられるなら当然この縄も解いて頂かないと・・・」


 チッ


 マーグさんの舌打ちが鳴る。


「ちょっと待て、坊主。

おい、ラッヂ!

逃げられねぇように人集めてこい、2階の奴らも呼んでこい!

どうせならみんなでこいつの芸の見物だ。


しょぼいもん見せたら、この場で全員が満足するまで、こいつを○り散らかす。

○った後にでも、この目の色なら高く売れるだろうよ」


「凄い芸だったらあたしたちのペットにして、一儲ひともうけしてみる?」


「そうなったらいい条件の買い手が付くまで結構日がかかるだろう。

売るまでの間はお前の好きにしろ。

ただし、こいつと○るときゃあ俺も混ぜろよ?」


「んふふっ。なぁに?

私がマーグをほっとくわけないでしょ。

それに、この子がどんなに可愛くても、どうせ1週間も愛せる自信はないもの。

すぐにあなただけの私に戻るわ」


 目の前でニヤニヤしながら僕を眺める男女。

子供の前でそんなはしたないことをおっしゃるのはやめていただきたい。

目の前の男女がイチャついていると、上の階で足音が聞こえた。

上を見上げると、4人の体温が移動している。

1人は既に階段を降りてきている。

次の1人は片腕で何かをぶら下げるような格好で移動している。

体格がものすごく良いようで、遠くからでも他の3人より体がでかいことがわかる。

残る2人も後を追って階段を降りてくる。

隣の部屋に残っていた2人も合わせて、ぞろぞろとこの部屋に集結してくる。


 先頭に入ってきたのはローブを纏う人物だ。

体格は他の人達よりも小さめで、肉体労働には向いていなさそうだ。

手には身長と同じくらいの長い錫杖しゃくじょうを持っている。

いくつもの金属の輪が先端に付いており、床につける度にヂャランと低い音を鳴らす。

ローブの正面から見えた顔には骸骨がいこつのように皮張かわばっているコメカミと、鼻に着けた装飾品ピアスがあった。

服装や持ち物から、この中で魔法を使うのはこの人なのだと一目でわかった。

おそらく、恰好かっこうからしても睡眠の魔法は

『|キミスィテ カト アトーポ タ フテラ トィウ ヒュプノス 《Κοιμηθείτε κάτω από τα φτερά του Hypnos》』

【ヒュプノスの翼に抱かれて眠れ】

だろう。

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