第33話 サービスメニュー

「ご注文を承ります!」


 僕がそういった瞬間、店中から声があふれた。


「フィーリスちゃん!俺に愛の投げキッスをくれー!!」


「フィーリスちゃん!この店の最高の酒をお酌してくれ!」


「フィーリスちゃん!こっち向いて〜」


「フィーリスちゃん!ビーラ10杯!」


「フィーリスちゃん!厚切り肉の塩焼きとビーラ!

それからフィーリスちゃんがほしい!」


「フィーリスちゃん!俺に嫁いでくれ!」


「フィーリスちゃん、こちらにいらっしゃい」


「フィーリスちゃん、おじさんがいくらでも金をやるから、ちょっと遊ばない?」


「フィーリスちゃん!今度うちの店でも売り子やってよー!」


「フィーリスちゃん好きだー!!」


「フィーリスちゃんのパンツ何色!?」


「フィーリスちゃん何カップ!?」


「フィーリスちゃん!こっちにビーラおかわり3杯ね!」



 酔っぱらいの客たちが好き放題注文を始めた。

僕はそこかしこで呼ばれる源氏名に頑張って反応していたが、なかなかに厳しい。

手記メモで鍛えた速記も、こう数が多いと限界がある。


「は〜い!

みなさん同時に喋らない!

うちの可愛い新人が順番に聞きに行きますから〜!

お・し・ず・か・に!!」


 ナンシーさんがよく通る声でその場を収拾してくれた。

客たちも従順に大人しくなる。

ナンシーさんって何者?


「ナンシーさん、ありがとうございます」


「ほれほれ、新人ちゃん。

みなさんを回って注文聞ききに行ってちょうだい」


 背中を押されつつ、店の端から注文を聞いて回る。

店は先程までと打って変わって静まり返っている。

と言うよりも、みんな僕の一挙手一投足に目を向け、耳を傾かせている。

醜態の上塗りをしたくはないのでここが正念場かもしれない。

緊張で手がびしょびしょに濡れている。


「いらっしゃいませ。

ご注文はございますか?」


 最初のお客さんは中肉中背の冴えない男性だ。

壁際の一人席に座っているから、連れはいないのだろう。

手や腕の生傷の跡や防具の損傷から荒事系の旅人風だ。


「フィーリスちゃん!」


「は、はい、フィーリスです」


 突然の大声に少しだけびっくりして身構えてしまう。

店内が少しだけザワザワと声をは潜めて会話しだした。

注文用に用意した手記メモと筆を持つ手にも力が入る。


「サインください」


 サインと手記に書きかけて、この店の料理にそんなものが無いことに気づく。


「え?

あの、今なんとおっしゃいましたか?」


「フィーリスちゃんのサインが欲しいです!

この防具の肩に書いて欲しい」


 サイン。

名前を防具に?

どうしてそんなことをするのだろう?


「あの、本当に私なんかのサインをここに?」


「この筆でお願いする」


 書いて欲しいと渡された筆で防具にフィーリスと書く。

独特の字なので少し心配だった。


「こ、これでよろしいでしょうか?」


「ありがとう!

大事にするよ!

これ気持ちだけなんだけど受け取って」


 ジャラッと800ダルクほどが連なった銭縄(1ダルク銅貨に縄を通してまとめたもの)を渡される。


「え、あ、こんなに頂けません」


 筆を返す手に替りに渡された銭縄に驚いて、男性につき返そうとするも、力的にかなわず押し戻される。


「フィーリスちゃんの初めてのサインを貰えた光栄に、このくらいじゃぁ全然足りないくらいなんだから貰って置いて欲しい」


「で、でも、そんな大したことはしていませんから」


「フィーリスちゃーん!

貰っときなー!」


 遠くの席から声がかかる。


「おうよ!

俺もサインもらおうと思ってるから、お礼は受け取ってほしいなあ!」


「そうだそうだー!

受け取ってくんなきゃ店から出ていかねぇぞー!」


 店内が僕の最初のお客さんの対応に口を出す。

大金を貰うのを断っただけなのになんだか悪者みたいになりそうだ。

大人しく貰った方がいいのか???

全くよく分からない。

みなさんお酒を飲みすぎていらっしゃるのかな?


「で、では、すみません。

ありがたくいただきます」


「うんうん!

サインありがとう!」


「こちらこそ、こんなに大金ありがとうございます。

ところで、ご注文は以上でございますか?」


「ビーラを1杯とシシケバブを2本お願いする」


「承りました。

ビーラ1、シシケバブ2ですね。

お待ちください」


 一旦厨房に戻り、注文を告げる。


「オーダー!

ビーラ1、シシケバブ2!

5番壁卓左端です!」


「よっしゃー!

初注文バッチリじゃん!

その調子で頼むよ!」


「はい!

ありがとうございます、マスター」


「うわっ!

激マブ!」


 マスターが謎の単語を言っているが、お客がたくさんいるので、

ぺこりと頭を下げて次のお客の注文を取りに行く。


 その後も順調(?)にお客の注文を取り続けた。

料理を運ぶのはナンシーさんに任せっきりになってしまったが、注文をとることに専念できて、店の料理はあらかた頭に入ってきた。

時たまサインだの投げキッスだのを求められ、ハグはバレるといけないし怖いので丁重にお断りして、握手の前に手汗をしっかり拭き取って控えめにしておいた。

この店のサービスとしてサインとか握手とか投げキッスがあるのかなんて聞いていなかったが、ナンシーさんもたまにしているのでそれが普通なのかもしれない。

大方の人達にサインは好評で、後で聞いた話だと、僕のサインが高値で売られていて高額で取引されたなんて話があった。


 店の客層は本当に様々で、中には貴族の息子という人もいた。

といっても、世襲できない騎士ナイトの爵号を若い頃のお父様が頂いたということなので、自らも功績を建てない限りは平民なんだとか。

彼自身もお父様から剣術を習い、功績を建てるために努力しているらしい。

彼からは高級なヴァインのお酌を頼まれた。

何でも1杯で1000ダルクはくだらないこの店の3本指に入るお酒で、これが出たら店の従業員全員に特別給が加えられると後で知らされた。


 珍しいお客は他にもいた。

街の歌劇場で公演している劇の舞台演出をしているという中年男性だ。

その男性は10人ほどの部下を連れて飲みに来ていたという。


「フィーリスちゃん!

うちの劇団に入らない!?

君ならかなり良い配役を貰えるよ!

劇作家に紹介してあげるよ!

君も有名になれば一生遊んで暮らせるよ!

なあ、みんな!?」


「フィーリスちゃんなら、本当にマジで上の中くらいっていうか、着付けや化粧次第では上の上行けますって」


「フィーリスちゃん激ヤバ!

行ける行ける!」


「フィーリスちゃん来たら、多分うちの劇団員は何人か諦めて辞めてくね」


「フィーリスちゃん!

投げキッスくれー!」


「お前、マジでハマりすぎだろ!」


「そんなこと言って、さっきからお前だってフィーリスちゃんしか見てねぇじゃん!

つい昨日までナンシーさん天使とか言ってたのにさ」


「バカ野郎!

そんなことナンシーさんの前で言うなよマジで!」


「フィーリスちゃんは可愛い!

酒が本当に上手い!」


「とにかくうちの奴らもフィーリスちゃん、あんたにぞっこんだからよ。

うちに来ない?

本当に良い役に着けるよ!?

約束する!」


「あー!

演出監督!

みんなのフィーリスちゃんの手を握らないでください!

演出監督の臭いオヤジ臭がフィーリスちゃんを汚します!」


「今の発言は誰だね!

誰がオヤジ臭じゃい!

そ、それほど臭うことないだろう!」


 演出監督と呼ばれた男性はしきりに手の臭いを気にしだした。

顔に案外と臭かったという焦りがみてとれた。

きっと僕のつけているフレグランスに混じって自分の臭いがすることで際立って感じてしまったのかもしれない。


「演出監督さま。

私のような、どこぞの田舎者には、役者を志す皆様方の尊い努力に適うはずはございません。

ですから、お心遣いだけありがたくいただいて、

宜しければこれからのご活躍を願っておりますと皆様にお伝えください」


 僕は演出監督の手をとり、給仕服の物入れ袋に忍ばせて置いた小瓶から、精油を1滴垂らしておいた。

これで鼻が利く人でもしばらくは自分の臭いを気にする必要はなくなったと思う。


「あぁ、ああ、わかった。

フィーリスちゃんは、とても優しい娘なんだねぇ。

わかった。

ありがとう。

ありがとう」


 演出監督さまは目に涙を浮かべている。

余程気になっていたのだろうか?

でも、諦めてくれたなら良かった。


 演出監督ご一行に向けて、少し慣れてきたせいか笑顔も向けて僕はこう言った。


「ぜひ、今度は劇団の皆様でいらしてください」


 演出監督さまが急に立ち上がる。


「よし、来週だ!

来週ここに皆を連れて来よう!

フィーリスちゃんを皆に見せて、皆の研鑽に役立てよう!」


 こういうときの対応ってどうしたらいいんだろう?

少し困っていると、ナンシーさんが助け舟をくれた。


「マスター!

来週、ダーラム劇団の月組が店を貸し切りたいそうですよ〜!

フィーリスちゃんが取り付けた予約ですよ〜!」


「なんだと!!?

でかしたぞ!!

フィーリスちゃん!!

マジで最高か君は!!!

ガハハハハハ!!」


 マスターが高笑いしていた。

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