第13話 晩餐会場での騒動

 給仕ウェイターの男性は準備があるということで入ってきた扉とは別の扉から別室へ行ってしまった。

広い室内空間に一人でいるのはなんだか落ち着かない。

普段は道端みちばたや森などで一人でいるのとは感覚的に違っていた。

風がしげる草木を揺らす音、川のせせらぎや滝の音、動物や昆虫たちの鳴き声や足音、羽音が時折聴こえてきて、一人ではないことがわかるのだ。

この部屋では何も聴こえない。

しん、と静まりかえっていると、時が止まっているようだった。

僕は沈黙に耐えかねて二つの呪文を唱えた。


长出你的头发ジャン チョゥ ニ ダ トァォ ファ

【伸びろ髪よ】


オレイユ エ フォーム ドゥ イーブゥOreilles en forme de hibou

【ふくろうの耳を貸しておくれ】


 一つ目の呪文は、先程風呂場でバッサリと切られてしまった髪を長く伸ばすものだ。

二つ目の呪文は、耳をフクロウの耳に変化させる。

髪を伸ばすことで耳を外部から見えないように包み、遠くの微かな音でさえ拾える好感度な聴力を発揮する。

それぞれ異なる体系の魔法だ。

耳を変化させる際に、不審に思われても困るので、髪で隠しておきたかったのだ。


「ナザレ!

バゲットは焼けているか!?

ソアソン!

第二食料庫からトレボノを取ってきてくれ!

ヤハゥエ!

仕上げだぞ、よく見ておけ」


 怒号どごうに近い喧騒けんそうは金属をこすったり打ち合わせたりする音や水が勢いよく流れる音と一緒に聴こえてくる。

すぐ近くの部屋だろう。とてもとてもとてつもなく忙しそうだ。


「あの子、今髪が急激に伸びたわ。

ブルーベルに今すぐ知らせて、早く!」


 別の方向からも声が聴こえる。

壁掛けの鏡の方からだ。

足早に遠ざかる足音も聴こえる。

僕を監視していて、今の呪文を見られていた。

背筋に汗が吹き出てきた。

まずいかもしれない。

僕が怪しい行動をしたらブルーベルさんは僕をどうにかするって言っていた。

やばい、やばすぎる。

でも、どうしたらいいのかわからない。

とにかく、情報を集めよう。

ブルーベルさんの居場所とかがわかれば、説明しに行けるかもしれない。


「サー・ブルーベル!

ヘテロフィロス・オスマンサス監視班より報告!

不審な行動を確認!

対象は一瞬で髪を20センチほど伸ばしました!

いかが致しましょうか」


「クラーク、報告ご苦労。

直ちにブルーベルにて対処する。

監視班は引き続き対象の監視を続けろ。

ワシが着く前に動きがあるなら知らせてくれ」


「サー・イエス・サー」


 早い!?すごく連携がしっかりしている。お互いに最小限で行動していて無駄がない。どうしよう。ブルーベルさんが来る。僕はどうすべき?


 一、逃げる。

 二、ブルーベルさんを待って説得する。

 三、ブルーベルさんの先手を打つ。つまり殺り合う。

 四、扉を封じて立てこもる。



 至近距離なら確実に三はないが、今ならフクロウの耳のおかげで方向もスピードもわかる。先手を打てるので、まだやりようはある。しかし、ブルーベルさんの出方がわからない。一は複数の監視や地の利がないので逃げ切るのは難しいだろう。四は、残念ながら魔力が欠乏しているので、あまり長くは持たない。残るは二か。もう、すぐ近くの廊下まで来ている。僕は声を張り上げた。


「ブルーベルさん!聞いてください!」


 扉のすぐ目の前でブルーベルさんが立ち止まった音がした。


「フィーロ様、いかがされましたかな」


 ブルーベルさんが小声で話しかけてきた。おそらく、『聴こえている』ことがわかっているのだろう。


「今僕は髪を伸ばしました。そして、まわりの音を聴いています!なので、ブルーベルさんが来ることや、たくさんの人が料理をしたり、僕を監視しているのが分かりました!」


「左様でしたか」


「でも、よからぬ事を企むつもりはありません!」


「ならば、なぜそのような魔術を使っておられるのか。私めにはわからないことをしていないとも限らないのではないですかな?」


 僕は扉の前に移動した。お腹がすき過ぎて、魔力も使い果たしかけているので、声を張り上げるのが辛いのだ。


「ブルーベルさん。ただ、静寂に耐えられなかっただけなんです。耳の形が違ったら、怖がられてしまうかと思って、隠しただけなんです」


「それを信じろとおっしゃるので?」


「僕は・・・ここへ連れてきてくれたあなたや、作法を指導してくれた従者の方々、完璧な姿勢と声で扉を開けてくれたお兄さんや、美味しいお水を入れてくれた給仕のお兄さん、今料理に奔走ほんそうしてくれてる方々、何より晩餐の席を用意してくれたご当主さまを、僕は裏切りたくはないのです」


「そこまでおっしゃるのであれば、わかりました」


「ブルーベル、何を!?」


 僕の知らない人の声がした。


「大丈夫です、クレア様」


 カチャリとドアノブをまわして、ブルーベルさんが僕の顔を見る。その目に昼間感じた殺気はなかった。僕の顔はたぶん見れたものじゃなかっただろう。空腹で血糖値が下がり顔は青白あおじろく、魔力もきかけていて目からはあまり生気が感じられなかったかもしれない。オマケに、少し前に飲んだ水分や塩分が鼻や瞳からあふれ出ていて、とてもみにくい自信がある。


 ブルーベルさんは胸ポケットの白い布で僕の顔をきれいに、そして念入りに拭き取ってくれた。ブルーベルさんの後ろには車輪付きの椅子に腰掛けた華奢きゃしゃな女性が一人と、その付きいと見られる従者の方々がいた。ブルーベルさんは小声で。


「フィーロ様、我がご当主様の御前ごぜんですぞ、しっかりご挨拶をしてくださいませ」


 僕はブルーベルさんに瞳でうなずき、座っている女性の前に片膝をつく。

「私の名は、ヘテロフィロス・オスマンサス。お目にかかれて光栄です」


 そして、女性の手を取り、手の甲に軽く口付けをした。女性の瞳を見つめて、そっと手を元の位置に戻す。見た目通り、その手はほっそりとしており、とても軽かった。しかし、この状況にも関わらず、手を取る時に一切の動揺を感じなかった。近ずいてフクロウの耳に届くようになった鼓動の音も僕よりも穏やかなリズムを奏でている。きっと胆力たんりょくのある強い女性ひとなのだと思う。


「ヘテロフィロス・オスマンサス。わたくしの屋敷へようこそ、続きは晩餐の席でいいかしら?」


「はい。おまねきいただきありがとうございます」

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