第11話 貴族との謁見のための礼儀作法

「では、まず一番の基本、当主様とご対面の時の挨拶あいさつを覚えていただきます。

こちらの椅子いすに腰掛ける彼女を一時的にご当主様と見立てて、ご挨拶の練習をいたします。フィーロ様、近くへいらしてください」


「わかりました。

よろしくお願いします」


 一礼して椅子に座る従者の方を見る。

微かに「はい」と聞こた気がした。

背はおそらく彼女の方が高いので、僕より年上の方だと思う。

今居る従者の方々の中では一番若いと思う。

少し緊張しているのか、頬が少し赤くなってきた。


「近くまで来たときの挨拶の基本の言葉は、こうおっしゃってください」


「私の名は、フルネーム。

お目にかかれて光栄です。

さあ、続けてください」


「私の名は、ヘテロフィロス・オスマンサス。

お目にかかれて光栄です」


「そう、それから、左膝ひだりひざを床につけて片膝立ちで目線を合わせて、同じご挨拶を」


 言われた通りに、左膝を床に片膝立ちになって。


「私の名は、ヘテロフィロス・オスマンサス。

お目にかかれて光栄です」


「はい、良いですよ。

では次に、ご当主様のお手を取り、手の甲の中程なかほどに軽く口づけを」


 若い従者の方の手を取り、手の甲に軽く口づけをする。


 教えられた通りにしてみたのは良いが、若い従者の方の手を取った瞬間の手の震えと柔らかさ。

手の温もりから、とくとくと早い脈が伝わってきて、口を付けた瞬間に香った良いにおいが脳を揺さぶった。

これはまずい。

何がとはわからない。

女の人にこのような接し方をしたことがない。

生身の感触かんしょくというのは理性を遠ざけてしまうようで、若い従者の方の緊張の意味がようやく理解できた。

手を取った姿勢しせいで固まっている僕に、講師こうしの従者の方が尋ねてきた。


「はい、よくできました。

フィーロ様、もう一度おさらいいたしましょうか?

それとも、他の作法について手解てほどきをご希望でしょうか?」


「あ、あの、他のを、お願いします」


 しどろもどろにそう言って、取っていた手をバッと離して立ち上がろうとする。

「ストップ!

ストップです、フィーロ様!」


 講師の従者の方が、立ち上がろうとする僕を制止して、その勢いのまま腰や腕を引かれて、物理的に元の姿勢に戻される。


「ご当主様の手を取り口付けた後は、ご当主様の目を見て、手を元の場所にお戻しするのが礼儀でございます。

最後まで正しく行わないと、ご挨拶だというのにいきなり気を損ねてしまいますよ」


 顔のすぐ横を両手で挟まれて、ぐいと物理的に顔を座った従者の方に向けられる。

取った手を元に戻す所まで自動伴奏ばんそう付きだった。


「わかりましたね」


「はい、すみません。

気をつけます」


「それから、ご当主様の前では、そのような強ばった表情ではなく、もっとにこやかになさってくださいね」


「はい、心がけます」


 頑張って微笑みを浮かべてみる。


「よろしい。

では、歩く時の基本とテーブルマナーの基礎にまいります」


 その後、おなかが盛大に鳴り響く音を聞かれ、羞恥に耐えながら、一時間半ほど作法の手ほどきを受けた。

ほんの触り程度の手ほどきを受けただけで、貴族や皇族は日々気遣きづかいや作法を駆使くししながら過ごしていることを実感する。

優雅ゆうがにみえる暮らしが、こんな注意事項だらけの気苦労が絶えない生活であることを予感させた。

たった一時間半の短時間ながら、僕なら、貴族なんてやめて、気ままな一人旅をしている方が、性分しょうぶんに合っていると強く感じた。


「フィーロ様。

そろそろお料理の準備も整ったころですので、晩餐の席へお連れいたしましょう」


「はい、やっとご飯なのですね」


「と、その前に、お色直しをいたしますね。

汗なども拭いた方がよろしいですね」


 僕の全身をざっと見て、近くの従者がにおいを確かめ、晩餐の席に良好な状態とは言えないことを自分でもわかっていた。


 先程までの指導もテキパキとしており、手馴れている様子や、着替えの衣服が魔法のように素早く出てくる所を見せられると、このお屋敷には出来る人達が集まっているのだなという印象を受ける。

ブルーベルさんも明らかにすごそうだし、紳士的で好感を持てる。

そんな所に平凡で根無し草の一旅人いち、たびびとである僕がいる。

場違い極まりない。


「どうして僕はここに連れてこられたんだろう?」


 考えていたことが口をついて出ていた。

一人旅では周りを気にせずぶつぶつと喋っていても、聞いてくれるのは風や樹々くらいだ。

そんな気を抜いた状態なので、独り言を言っていることもわりとある。

しかし、今は周りに人が沢山いる。

独り言には気をつけなければならないと、従者の方々の不思議そうな顔を見て思った。


「あ、いえ、すみません。

独り言がつい」


 みなさん、僕の衣装替えの作業に忙しそうだ。

小声だったのでよく聞こえなかったのかもしれない。

胸を撫でおろしかけたところ、年長の従者の方が。


「私どもはしがない従者メイドですので、仮に存じていたとしても、おそれ多くて今ここでお話する訳にも参りませんの。

どうかご容赦ようしゃ願います」


「あ、き、聞こえてたんですね。

すみません。

そんなつもりじゃなくて、ふと思っただけなのでお気になさらず」


 愛想笑いを浮かべ、ぶんぶんと首と手を振る。

手や首を後ろと横から掴まれ、強制的に停止させられる。


「フィーロ様、誠に申し訳ございませんが、お着替えが終わるまでは、どうかご辛抱しんぼうください」


「あ、ええ、すみません」


 口調には有無を言わさない迫力を含んでいた。

手を振りほどくことはできそうだけど、自分一人ではこのような構造を把握していない服を着こなすことができるか分からない。

僕は自身の着替えが他人の手で済まされるまで大人しくしていた。

借りてきた猫のようにとは今の僕のことかもしれない。

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