貴族のお屋敷にて

第10話 生まれてはじめてのバスタイムは・・・・・

 屋敷についてから、ブルーベルさんは約束通り乗降台じょうこうだいを用意してくれた。

丁寧に彫り込まれた木彫り細工と鮮やかな彩色で、見た目に華やかな印象があった。

しかし、空腹や緊張、疲弊ひへいによってか、僕はどうやってここに来たのかは全く覚えていない。

現在、猛獣もうじゅうの彫刻がほどこされた浴槽バスタブに、何故か屋敷の従者達に囲まれ、服をぎ取られ、服をぎ取られほうり込まれている。

 ボサボサの髪の毛を良い匂いのするアワアワに包まれて洗浄され、体の隅々すみずみまで柔らかい刷毛ブラシで汚れという汚れを徹底的てっていてきに洗い落とされている。


 こんな経験はした事がない。

そもそもお風呂にだって人生始まって以来入ったことがなかったのだ。

清流の冷たさに身を凍らせながら、最低限の清潔さは常に保つように心がけてきた。

それは本当に最低限だった事を思い知らされている。


 温かいお湯にかり、たくさんの従者達に体を洗われている。

自分では何もしていない。不思議な体験。


「フィーロ様、お湯加減はいかがでございますか?

のぼせそうでしたら、おっしゃってくださいね」


 人に裸を見られるのも初めてで、羞恥でさらにのぼせてしまいそう。

のぼせるってなんだろう。

僕、のぼせたことない。考えがまとまらない。

ちょっとやばいかも。

視界がくらくらして砂嵐が・・・・・これ・・・・・やば・・・・・・・・・・。


「・・・・・・・ーロ様!!」


「ぅぅ・・・・・・」


 気がつくとベッドに寝かされていた。

服は僕のじゃない上質そうなものをきせられている。

風通しの良く、保温性もあるサラサラな肌触り。

そのおかげか、寝汗で不快感を覚えるようなことはなかった。


「良かった。お目覚めになられたのですね」


「ブルーベルさん・・・僕、どうして?」


「湯加減が少し高めだったようですね。

次からはもう少し湯の温度に気を使うように教育いたします。

フィーロ様はどうかお体をお休めください」


 お風呂でお世話してくれた従者の方が水差しから水をうつわに移し入れて、上体を起こしてくれた。

水を少し口に含むと、だいぶ楽になった。


「もう少しお飲みになってください。

のぼせてしまうと水分が抜けてしまうので、いつもより多めにお飲みいただくのが良いですよ」


 耳元でやさしくささやくように教えてもらい、もう一口ひとくち水を飲む。


「ありがとうございます。

だいぶ、楽になってきました。

もう大丈夫だと、思います。お風呂もとても気持ちが良かったです。

ありがとうございます」


 意識もハッキリしてきて、お礼を伝えられるくらいには余裕が出てきた。

従者の方はささやくように「ぃぇ、きょうしゅくでございます」と言って僕をもとの態勢に戻し立ち上がった。

『きょうしゅく』という言葉には馴染なじみがなく、たぶん『気にしないで』ということなのかと思う。

従者の方は器に水をぎ足してから、ベッドから手の届く袖机サイドテーブルに置いてくれた。


「ブルーベルさん、すみません。

僕、どのくらいむっていたのでしょうか?」


「ほんの一時間程でしょうか。

それほど長くはありませんよ。

フィーロ様。もう、おかげんはよろしいので?」


 僕は聞きながら姿勢を起こした。


「もう本当に大丈夫ですから、ご心配をおかけいたしました」


「左様でございますか。

なんと回復の早いお方なのでしょう。

これより晩餐ばんさんのご用意を進めてもよろしいでしょうか」


折角せっかくですから、ご馳走ちそうになります」


「かしこまりました。

では、フィーロ様にもおし物をご用意しておりますので、お着替え終わりましたら、晩餐の席へおこしください」


 ブルーベルさんは流れるような自然さでお辞儀をして、廊下に待機していた従者達に目配めくばせした。

即座に従者達が部屋になだれ込み、僕はまた取り囲まれて服を剥ぎ取られ、汗をかいた体を温かくて薬草の香りのするタオルできよめられた。

それから、背広スーツのような衣装をてがわれた。

どうやらこの屋敷の晩餐には服装の規定があるようだ。

下着を二着と襟袖付えりつきの絹の白服シャツ、その上に上着の背広スーツようなものと、襟帯ネクタイをまきつけて複雑な結び目をつくる。

下半身も似た構成で、下が二重で絹の下着パンツの上にさらに絹の半絝ハーフズボン、上体の背広と色を合わせた長絝ズボン革帯ベルトを巻き付ける。

仕上げに宝石をあしらった襟帯飾りネクタイピンや、背広スーツにもいくつかの装飾、胸元に刺繍入りレース手拭いハンカチを折り入れられた。

たけがピッタリで着心地きごこちもとても良い。

人生でこれほど高価こうかそうなものを身につけたことがないので、慎重に行動しないとやぶいてしまったり、何か無くしてしまったら取り返しがつかないとさえ思う。


 慣れない正装に細心の注意を払うと、どうしても歩き方がぎこちなくなる。

衣服の可動域かどういきが普段とまるで違う。

少しでもなら、ピタリと静止できるよう、ゆっくり動く。

緊張感を持って集中して歩かねばならない。

腕の上がり具合を確かめたり、歩幅を広くしたり、斜めに移動してみたりを試しながら、都度危ないと思ったときにピタリと静止する。

変人的な動きを繰り返していると、後ろに待機してくださっている従者の方々に笑われてしまった。


「僕、こういう服を初めて着るものですから。

どんな風に出来ていて、どこまで動かせるのかとか、つい試したくなってしまいまして」


 赤くなるほほの熱を冷ましたくて、従者の方々に訳を説明してみる。

しかし、余計に笑いを誘っただけだった。

助けぶねを期待してブルーベルさんを探すも、いつの間にかブルーベルさんの姿はなかった。


「この服の可動域はあらかた把握できたので、どなたかこの服装での基本の歩き方をお教え願えませんでしょうか?」


 見たところ、困ったことに、今居る従者の中に男性はいない。

できれば同じタイプの服を着た人をよく観察したかった。

しかし、ブルーベルさんの歩き方には、少し帯剣の癖がある。

僕のような普段から非武装の人が真似をするとさまにならず、かえって不自然になってしまう。

せめて、どうしたら良いかアドバイスがもらえたらと思っていたのだ。


「ご当主様をあまりお待たせしてはいけませんが、晩餐の席のご用意にはまだ時間がかかります。

私めから基礎の基礎だけお伝えいたしますわ」


 そう言ってくださったのは、眼鏡をかけたお化粧の少し(控えめに少し)濃い従者の方でした。

背筋がビシッと伸びていて、姿勢や作法に詳しそうな印象を受けた。


「ぜひ、お手解てほどきのほど、よろしくお願いします」


 僕は頭を下げて教えをう。

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