第9話 突然の釈放

 看守のブルームさんがいそいそと来客の対応のためにかけていく。

僕はその場で立ち止まり、なんの気もなく待ち人の方へ顔を向けた。

すると、その待ち人と目が合った。

その鋭い眼光に一瞬でチャネリングが不安定になり、素早く顔を背ける。

どうしてあれほどまで険しい表情で、こちらを睨んでいたのだろう?

待たせたのが不味かったのか。

それにしては、離れていても分かるほどの物凄ものすご迫力はくりょく

殺気さっき宿やどった瞳に見えた。


 精神統一チャネリングのために心の準備を整えて、意をけっして待ち人を見た。

しかし、待ち人はこちらを見ていなかった。

ブルームさんと話しながら書類にサインしているところだ。

あの鋭い眼光を浴びないことに胸をで下ろす。

手持ても無沙汰ぶさたで待ち人をよく観察してみる。


 待ち人の出で立ちはシンプルでいて上品さも感じる仕立ての良さそうな背広姿スーツ

しわが深く刻まれた顔や手元から壮年そうねんの男性であることが見て取れる。

背筋がスっと伸びており、隙のない所作しょさの一つ一つからは、品の良さや作法の正しさ、それからある種の達人を思わせる迫力が体に染み付いているように感じる。

それでいて、貴族や王族などとは違い、主張し過ぎず、どこか謙虚けんきょな立ち居振いふる舞いを心得ているようでもある。

一体何者で、どのような要件でここに来たのか気になってしまうが、この後、牢に入れられる僕にとっては無用むよう詮索せんさくだろう。

シンプルにかっこいいおじいちゃんがいるので、眺めていようと気持ちを切り替える。

先程の視線も気になるところだし、目を離すのは少し危ないようにも思えた。


 ジロジロと待ち人を眺めている僕に、突然振り向いたブルームさんが尋ねてきた。


「おい、坊主。

お前一体何者なんだ?

お前を引取りに来たんだとよ」


「え、僕?ぇ、引取り??」


 ブルームさんに手招てまねきされて、壮年の男性の前に立つ。

おそおそる口を開く。


「申し訳ありませんが、どちら様でございますでしょうか?

また、僕は今日、初めてこの街に来たところなので、この街に知り合いがおりません。

誠に恐れ入りますが、僕を引き取るというお話は、人違いとかではないでしょうか?」


「突然の申し出に困惑されるのも無理はございません。

しかしながら、我が当主より貴方様を連れて参るように、たしかにおおせつかっております」


「それは、罪人として僕に刑罰けいばつを与えるためですか?」


「いえいえ、申し訳ございません。

私は貴方様に我が当主のお客様として迎え入れよと命じられております。

外に馬車くるまも待たせております。

ブルーム看守兵にも承認を頂いている正式な手続きも完了してございます」


 待ち人の男性はブルームさんにアイコンタクトと仕草で縄を解いてくれるように合図を送る。

ブルームさん素早く僕の縄を解き、僕の荷物を持ってきてくれた。


「ブルームさん、ありがとうございます。

短い間でしたが、お世話になりました」


「いやぁ、貴族の釈放命令なんて。

こんなことは滅多めったに起こらないんだがなぁ。

まぁ、元気でな坊主」


「はい、ブルームさんも食生活や生活習慣に気をつけてくださいね」


 短い挨拶あいさつを終え、待ち人のブルーベルさんはある貴族のお屋敷に使える執事コンシェルジュで、街中で馬車を待たせているということは、相当に財力がある貴族なのだろう。

ブルーベルさんに促されて、馬車に荷物を押し上げてから、自身も乗り込もうとする。

車高が高く、なかなか上がれない。

そこへすかさず手を差し伸べてくれるブルーベルさん。

壮年になっても顔立ちの整った状態を維持していて、この気遣いと立ち居振る舞いだ。

きっと、若い頃はモテはやされただろう。

僕の腰をグッと押し上げてくださり、無事馬車に乗り込むことができた。


「ありがとうございます。

ブルーベルさん」


「こちらこそ、不躾にもお手を煩わせてしまい、申し訳ございません」


「とても助かりました。

降りる時もお手をお借りしても良いでしょうか」


「よろしければ、お降りの際は台をご用意いたしましょう。

実は我が当主も幼い頃使っていたものがございます」


「それは、ぜひお目にかかりたいです」


 馬車が動き出し、ブルーベルさんもとても友好的な態度を表面上とってくれている。

内心の緊張が少し解けてしまった。


 ぐぅぅうぅぅ〜〜〜


 盛大に鳴るお腹の音が二人しかいない車内に響く。

僕は恥ずかしさのあまり顔や手が紅潮していくことを止められなかった。


「あ、あははは、すみません。

朝起きてからご飯を食べる暇がなかったものですから。

あははは」


 喉から水分が抜けて乾いた笑い声しか出ない僕に、ブルーベルさんは優しく微笑んでこう言ってくれた。


「お食事はまだのようですね。

料理長に客人のお食事の用意を頼んでおいて良かった。

彼も張り切っていたので、お口に合うと良いのですが」


「わあ、何から何までそんな。

僕、それほど大した者では無いので、あまりもてなされると、かえって申し訳ないなと思ってしまいます」


「いえいえ、客人をもてなすことは、私ども従者としては楽しいイベント事でございますから、お気になさらずにおくつろぎください。

多少サービスし過ぎたとしても、私どもが楽しむために行っていることなので、深くは考えないでいただきたい」


 ブルーベルさんは心遣いの達人かもしれない。

後ろ向きがちな僕を優しくさとしてくれる。


「ところで」


 ブルーベルさんは一呼吸の間をあけて、話題転換わだいてんかんの心の準備期間をくれた。


「誠に不躾ぶしつけながら、お客様のお名前を存じ上げておりません。

私めは、貴方様をどのようにお呼びするのがよろしいでしょうか」


 一瞬だけ牢獄で見たブルーベルさんの鋭い眼差しが垣間かいま見え、僕の背筋にゾクリとした悪寒おかんが走った。


「ぼ、僕の名前は、ヘテロフィロス・オスマンサスと申します」


 言ってしまってから、ブルーベルさんの眼光が鋭くなっていく。

既にこの名が偽名であることは看破かんぱされているのだろう。

ブルーベルさんは静かにこちらを見ている。

心臓がバクバクと暴れ今すぐ逃げろと脳をらす。

しかし一方で、冷静な自分が、逃げてもこの街にいる以上この人から逃れることはできないと身体を引き止める。

ブルーベルさんの眼光は歴戦れきせんの証。

大きな傷を負っているようには見えないことから、戦場を無傷で生き残ったということだ。

歩く時の帯剣姿勢たいけんしせい名残なごりからも、この国の兵士だったのかもしれない。

身のこなしから相当な手練てだれだったと推測している。

今の僕ではたとえ相手が徒手空拳としゅくうけんだろうと到底とうていが立たない。

僕には軍隊格闘マーシャルアーツ心得こころえがないのだから。


「では、ヘテロフィロス様とお呼びしてもよろしいですかな?」


「は、はい。

あ、あの、ふぃ、フィーロとお呼びくださっても結構です」


「では、フィーロ様とお呼びいたしましょう。

率直にお聞きしますと、その目はいったいどうされましたでしょうか?

先程から虹彩こうさいが明滅しているようにございます」


 集中力が途切れかけている。

でも、これも最初から見破みやぶられていたんだと思いなおす。

これ以上取りつくろう必要はない。

精神統一チャネリングを完全に解いてわけを話そうと、はらくくり、ブルーベルさんへ真っ直ぐに向き直る。


「僕は旅の者ゆえ、危険に巻き込まれるのを嫌います。

そのため、申し訳ないのですが、僕のような半端者はんぱものの名でも知れてしまうと、何かと厄介やっかいなので真の名前は伏せさせてください。

そしてこの目は、まじないで少し目の色の見え方を変えていました。

この国でも目の色によってあつかいが変わってしまうのかを確かめるためです。

旅すがら色々な町に立ち寄りましたが、ここのように大きな街なら違ってくるかと思ったのですが、結果はブルーベルさんならご存知でしょう。

そして、この目のまじないにブルーベルさんは最初から気づいていたのですよね」


 顔を上げて本当の瞳の色でブルーベルさんをみる。

ブルーベルさんは深々と頭を下げながら謝ってくれた。


左様さようでございましたか。

かしこまりました。

詮索せんさくするような真似をして誠に申し訳ございません」


「お顔を上げください、ブルーベルさん。

あなたにもご事情がお有りなんですよね」


「私は、我が当主を不貞ふていやからに示し合わせるわけには参りませんので、万が一、貴方様が不穏ふおんな動きを見せるようなら、対処をいたす所存しょぞんでございました」


 やはりあの眼光に込められた殺気は本物だった。

僕の出方でかた次第では既にあの世行きの片道馬車に乗車しているところだった。

でも、考えてみれば貴族の人から見ればちっぽけな旅人の一人や二人、どうとでも出来てしまうのだろう。

これまでの旅でも、幾度となく権力に消された人の噂を耳にしてきた。

それが自分になっただけで、これほど恐ろしいことはない。

かすれ気味に絞り出した言葉には、力なんて宿るはずがなかった。


「そう、でしたか。

ご冗談だと思って、聞かなかったことにしますね」


 動揺を隠すこともできず、僕はうつむき加減に残りの道のりを過した。

ブルーベルさんはきっと嘘をついていないし、ましてや冗談も言っていない。

でも、今の僕に言える精一杯の強がりで、ブルーベルさんのせいではないことは伝えたかった。

屋敷に着くまでそれほど長い時間は経っていないのに、ここ最近で最も身の危険にさらされていた空間は僕を疲弊ひへいさせるのに十分だった。

これから対面するであろう当主にも、十分な警戒が必要だろう。

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