第6話 小さな旅人 森で収穫物を奪われる

 すっかり日が落ちて、森の野営地後で焚火たきびの光に照らされる小さな旅人。

収穫した木の実と新鮮な小魚の並んだ贅沢ぜいたくな夕食を後に、採集した新種の植物を手にとり、すりつぶしたり、きざんだり、ねっしたりしながら状態を細かく手記メモに取る。

これまで書きとどめた手記メモによると、他の地域で採集した薬草に近い効能こうのう発揮はっきするものや、種類としては近しいが、においや触感しょっかんが異なり効能も違う可能性があるものもあり、非常に研究し甲斐がいのある植生しょくせいであることがわかった。

しばし時を忘れて植物たちをこねくり回していた。


 次の研究対象をザルから取り出そうと手を伸ばしたが、先ほどまでザルを置いていた場所で旅人の手はくうつかんだ。

態勢たいせいくずしかけて持ち直し、松明たいまつで近くをらしてみたが、ザルが忽然こつぜんと消えている。

素早く立ち上がり、集中力を高めて小声で聴覚ちょうかくを強化する呪文スペルとなえる。


オレイユ エ フォーム ドゥ ラパンOreilles en forme de lapin

【兎の耳を貸しておくれ】


 耳が縦に長く伸びウサギの耳に変化した。

ウサギの耳は水平角度を細かく調整できるのでソナーのように、どこからどのような音が聞こえてくるか知覚ちかくすることに特化している。

耳をすませ、あたりをさぐる。あまり離れていないところで、ガサごそと物音ものおとがしている。

その物音に注力して聞き分けると、何らかの咀嚼音そしゃくおんも混ざっている。

方向と距離的には、野営地跡のなかほどに何かがいるらしい。

夜間やかんくらがりで視認性しにんせいを上げる呪文を唱える。


デス ユー カム アン プチ デュックDes yeux comme un petit-duc

【フクロウの目を貸しておくれ】


 瞳が黒々として丸く大きくなり小型のフクロウの目に変化した。

光が少ない場所でもほとんどのものが視認できる優れた集光性しゅうこうせいそなえているため、暗闇での探索に効果を発揮する。

焚火の光がまぶしいほどで、まぶたを細めて音のする暗がりを注視ちゅうしする。

その瞳に、小柄こがらいのししの姿をはっきりと捉えた。

猪は研究用に採集した植物や薬として売り出そうとしていた薬草をモリモリと頬張ほおばっている。

その小柄な猪の姿に、一瞬気をゆるしてしまいそうになる。

だが今ならまだ食べ始めたばかりだ。

あきらめずに取り戻すのならまだ十分に合う。


 猪の姿を視界しかいとらええながら、そろりそろりと近づく。

猪の方もザルに鼻先を突っ込み、もさもさと口を動かしながらも、こちらの気配けはいうかがっている。

2メートルほどの近距離に来ると、猪の体格たいかくは思っていたよりもさらに小さく、体毛に斑点はんてんがあることから生後数カ月っていない子供であることがわかった。

もう少しでザルに手が届く。

手をばしかけた瞬間、子供猪が頭をもたげて甲高かんだか警告けいこくの声を上げた。


 小さな旅人は身構みがまえた。

普通、このくらいの子供の猪のそばには母猪が寄りって行動している。

今の声で母猪を呼ばれたので、周囲に警戒けいかいしておかないと、巨体による突進をくらってしまうかもしれない。

ウサギの耳とフクロウの目を全稼働フルかどうして母猪の姿を必死に探す。


 何かがおかしい。

子供猪が今のような緊迫きんぱくした声を上げれば、絶対に母猪が現れて突進してくるに違いない。

しかし、どういうわけか母猪の姿を全くとらえられない。

子供猪も困ったように荒い息遣いきづかいのまま立ちくしている。


「もしかして君。

お母さんとはぐれてしまったの?」


 4、5分が過ぎ、さすがに全く周囲に変化が現れないことから、子供猪に向かって状況を尋ねてしまった。尋ねついでに子供猪をよく観察する。

体長は5、60センチメートル程。ふるえ方やこしがひけている立ち姿から、おびえているように見える。

おなかは空いているのだろう。

ヨダレがポトポトと地面にしたたっている。

若干せているように見えなくもない。

えさがうまくとれないのは、母猪がそばにいないこととも関係があるかもしれない。

もしかすると数日間、十分な食糧しょくりょうを取っていなかったのかもしれない。

なんだか薬草のことはどうでも良くなってきた。森には十分な量の薬草が生えているのだし、また採集すればいいのだ。


「こわくないよ」


 なるべく穏やかに刺激しないように静かにそうげて、小さな旅人は慎重しんちょうにしゃがみ込んだ。

できるだけ視線を下げてゆっくりと子供猪に近寄ちかよってみる。

子供猪の鼻息がピューピュウと鳴ったが、逃げることもできないくらいおびえているのかもしれない。

できる限り、ゆったりとした動きで子供猪の鼻先の下に手をかざしてにおいをがせてみる。

ひとしきり手のにおいを嗅いでも逃げ出さないところをみると、どうやら敵ではないと判断されたようだ。

子供猪は安心したのか、おなかが空き過ぎて我慢ができなかったのか、またザルに盛られた薬草を食べ始めた。


「おいしいかい?」


 もぐもぐと咀嚼そしゃくしているアゴの下あたりをでながら、話しかけてみる。

答えは見ての通りだ。食事の邪魔じゃまにならないように、ザルの麻紐を解いてあげた。

よほどおなかが空いていたのだろう。

あっという間に食べ終わってしまった。


「それにしても君。

火元ひもとの近くまで寄ってくるなんて危ないから、他の人達には近づかないようにした方が良いよ」


 おそらくわかっていないだろうけど、一応忠告しておく。

たぶん、この子は幼いのでまだ火をおそろしいものだと認識できていないのか、またはおなかが空き過ぎていて周りが見えていなかったのだろう。

そのうち自然と近づかなくなる。

自然で生きびていくために野生の感が働くようになっていく。


「君の好物は菌類なんだね」


 食べる姿を間近で観察できたのでわかったことだが、真っ先に平らげたのが菌類だった。

猪などの雑食動物は、鼻がとても発達していて他の動物よりも好物のにおいに敏感びんかんだ。

以前いぜん立ち寄った森でも、遠くで猪がキノコを食べているのを見かけたことがある。

菌類の種類によっては芳醇ほうじゅんな香りがするものもあるので、鼻の発達した動物の中でも好みははっきり分かれるだろう。

この森では猪の好物が菌類であることがわかっただけで大収穫だ。


「もう食べ物はないからへお帰り」


 母猪とはぐれていることは気がかりだが、旅人にはどうすることもできないし、どうにかしてあげること自体がこの子のためにはならない。

あまり触れ合っていても他の人が通った際にお互いの不利益となることもある。

干渉は最小限に留めるのにこしたことはない。

子供猪が立ち去るところを見送って、研究材料も無くなってしまったので、今日のところは片付けをして眠ることにする。


 川辺で研究に使った道具を洗い、顔や体を洗い、歯磨きをして焚火に戻る。

集中力を持続させないと発動し続けられない感覚強化呪文かんかくきょうかスペルを使ったこともあり、どっと疲れが出てきた。試しに新種の薬草で作った抽出液ちゅうしゅつえきを薄めて飲んでみる。

疲れは完全に抜けることはなかったが、摂取量せっしゅりょうに対する効果としては上々じょうじょうといえる。

あとはもっと多く採集して、最適な調合方法を模索もさくしたい。

寝床を用意して精製油ミントオイルによる安全地帯も整えた。

体が十分に温まったので寝袋にもぐりこむ。ほどなく旅人は深い眠りに落ちていった。

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