私が愛した世界

武藤勇城

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私が愛した世界

 幾星霜、どれだけの世界を眺めてきただろう。宇宙に星が生まれ、輝き、やがて消えてゆく。ホシボシの命運が尽きた時、その愛おしい世界を包み込んで作り直す。それが自分の存在意義であり、存在証明である。生命が誕生すれば、それは我が子も同然だ。子供達が何を考え、どのように行動し、どんな感情に溢れているのか。常に見守ってきた。


「・・・あのチョコボールという物・・・実に興味深い・・・」


 草原を駆け回っているのは、長い耳をした『ノウサギ』と呼ばれる生物だ。草を食み、愛くるしい円らな瞳で周囲をキョロキョロ警戒していたかと思えば、二本足でピョンピョン飛び跳ねる。鼻をヒクヒクさせ、春風を感じているのだろうか。

 草食動物を狙って草陰に身を伏せているのは、『ヒョウ』と呼ばれる斑模様の生物だ。慎重に、狙った獲物に逃げられないよう、ジリジリと近付く。食事中だったノウサギが何かの気配を察したか、飛び跳ねてその場から遠ざかってゆく。この獲物を取り逃がせば、今日の食事はお預けだ。空腹のヒョウは、ややタイミングを失しながらも、獲物を追って草むらを飛び出した。


 数百匹の群れを成しているのは、黒くて長いたてがみと強靭な二本の角を持つ、『ヌー』と呼ばれる生物だ。季節の変わり目、大移動の最中に、渇望を満たすべく湖畔に立ち寄り、ゴクゴクと水分補給をしている。雄、雌、子供、年老いた個体、体を悪くした個体、元気いっぱいの個体。一塊になって蠢いていた。

 その群れに襲い掛かったのは、薄茶色の短い体毛と長い鬣が特徴の『ライオン』と呼ばれる生物だ。慌てふためくヌーの群れの中から、逃げ遅れた数匹に狙いを定め、集団で取り囲むように包囲の輪を狭めてゆく。ハラハラしながら不安げに眺める母ライオンと子供達のために、何としても狩りを成功させなければならない。


「・・・世界への干渉は絶対の禁忌・・・タダタダ見守るのみ・・・」


 水は全ての生命体の源である。水の中から多くの子供達が育まれ、また水の近くに集まってくる。大きな湖に浮かぶ小さな影は、『ボウフラ』と呼ばれる生物だ。成体になれば空を飛べるが、今はまだフワフワ水の中を漂う事しかできない。水中を集団で彷徨さまよいながら、いつか羽ばたく希望の日を待ちわびているのだろう。

 戦う術も逃げる術もない。そんな美味しいエサが見逃される筈はない。スイスイと滑るように泳ぎ近寄る、赤、白、黒の錦模様から『ニシキゴイ』と呼ばれる生物。大きく開けた口をパクパクさせて、湖に浮かぶ小さな黒い影に襲い掛かる。満足ゆくまで、大量のエサを食い尽くす勢いで、湖面に幾つもの波紋を作った。


 川のせせらぎを、より一層美しく見せているのは、気持ち良さそうに泳ぐ『ベニザケ』と呼ばれる生物だ。生まれ育った地へと、川の流れに逆らって泳ぎ続ける。一メートルもの高さの滝をヒョイヒョイ飛び越えようと試みる姿は、傍目にはとても楽しそうだ。透明な川の水がベニザケの体色で真っ赤に染まるほど、跳ねる水が太陽に反射してキラキラ輝くほど、大群での遡上である。よく見れば、激流を遡る間に体中傷だらけになっていた。一見遊んでいるようだが、見た目とは裏腹で、一生懸命という言葉通りの命を削る大行進であった。

 故郷で子供を産みたい。そんな願いを断ち切らんと、川の畔で水中をジッと眺めるのは、焦茶色の体毛に全身を覆われた『ヒグマ』と呼ばれる生物だ。ザブザブ水流に突入すると、眼前を通り過ぎる魚群の中から適当な一匹に狙いを定めて噛み付いた。暴れるベニザケを咥え、川岸の砂利の上に放り投げる。待っていた仔熊達は嬉しそうに、ピチピチ跳ねる新鮮なエサにじゃれついた。


「・・・楽しそう・・・楽しいって何だろう・・・?」


 水中で待ち構える『ナイルワニ』のあぎとに捉えられたのは、一匹の『シマウマ』と呼ばれる生物である。黒くザラザラした硬い皮膚を持つ狩人の鋭い牙で、後ろ足の付け根辺りをガッチリ噛み付かれては、逃げ出す事は元より動く事もままならない。苦し気な鳴き声が森に木霊し、暴れる度バシャバシャ水飛沫が舞い上がった。

 森の中へ逃げ込んで、木陰から仲間の姿を見詰めるのは、白と黒の縦縞模様の草食動物。一歩、二歩と捕食者が後ずさりをすると、仲間の体もまた一歩、二歩と水中へ沈んでゆく。最後まで見えていた長い鼻先が水中に没すると、悲し気にトボトボと仲間達はその場を立ち去った。


 崇拝する王様、女王様のために、数万の兵隊達が集まっていた。白く透き通った小さな体で土を掘り、倒木を齧り、集めた材料を体液で固めて、少しずつ、ダンダンと城壁を高く積み上げてゆく。数十年の歳月をかけて完成した蟻塚と呼ばれる居城の高さは、『シロアリ』達の体の万倍にも及んだ。

 草原の中を四本足でノシノシと歩く、長く黒い体毛に覆われた生物。前足は白く、フサフサの尻尾、何より細く長い顔が特徴的な『オオアリクイ』と呼ばれる生物である。逞しい前脚を引っ掛けると、シロアリ達が長い年月をかけて築き上げた強固な城の一角は、いとも容易く崩壊した。突然の襲撃者に驚き、大混乱に陥るシロアリ達。長い鼻先を崩した穴から差し込むと、オオアリクイは夢中になって甘い食事を堪能した。


「・・・美味しそう・・・美味しいって何だろう・・・?」


 樹の幹にしっかりと体を固定した緑色のサナギ。羽化するまで十日もの間、ピクリとも動かなかったが、やがて黒茶色に変色したと思ったら、中から姿を現したのは黒と黄色の紋様をした『アゲハチョウ』と呼ばれる生物だ。畳んでいた羽を大きく伸ばすと、夏風を受けてパタパタと羽ばたいてゆく。

 白く咲いた花の蜜を吸おうと、アゲハチョウが羽ばたきを止めて降り立つ。花の蜜の甘い香りがプンプン漂う。初めての食事に浮かれるアゲハチョウを、冷静に待ち構えていたのは『ハナカマキリ』と呼ばれる生物だ。両手のカマを折り畳んだ姿は、綺麗に咲くハナバナと区別が付かない。突如として両腕を大きく広げたハナカマキリに、恐怖のあまり再び羽を広げて逃げ出そうと試みるアゲハチョウ。カマが体に食い込むのが早いか、羽が浮力を得てカマの届く範囲から離脱するのが早いか。一瞬の差が生死の分かれ目であった。


 樹の枝に掴まり、グァグァと大きな声で鳴いているのは、黒と白の羽毛に包まれた生物である。目の周りと体長の半分ほどもある巨大な嘴は、鮮やかなオレンジ色をしている。特徴的なその形態から、巨 (おお) きな嘴 (くちばし) で『オオハシ』と呼ばれている。樹の洞を長い嘴でコンコン突いて掘り返し、中にいた昆虫を見付けると、興奮したように大声で一鳴きしてから、ヒョイと上を向いて嘴の先の食べ物を喉の奥へと放り込んだ。

 いつもなら雄と雌が交互に卵を温めているのに、何故この日に限って二匹揃って食事に出てしまったのだろう。痛恨の出来事は留守中に起きた。樹上高くに作られたオオハシの巣。本来なら何者も近寄らないこの場所に、ソロソロと忍び寄るのは『オオアナコンダ』と呼ばれる生物だ。樹の幹に器用に体を巻き付け、スルスルと登ってゆく。巣の奥に残されていたのは、ホカホカのオオハシの卵であった。大きく口を開けると、卵を一つ、二つ、と丸呑みにする。大きく膨らんだ喉元から胃袋の方へとゆっくり嚥下しながら去りゆく強盗を、オオハシはメラメラ燃える憤怒を浮かべた瞳で見送った。


「・・・カワイイ・・・カワイイって何だろう・・・」


 イロイロな子供達の中で最も興味深いのは、多くの感情を内包した『ニンゲン』と呼ばれる生物だ。ニンゲンは、全ての生物を捕食し、至る所を支配し、世界の王者として君臨している。体は小さく、力は弱く、繁殖力は低い。それでも大きく発達した頭脳で、クサグサの物を作り出し、生来の能力以外の知恵を使って生き抜いてきた。それ故に感情も多く、見飽きない。

 生まれたばかりのニンゲンは特に感情の起伏が激しい。個体差があり、すぐに母親の陰にコソコソ隠れるような臆病な者もいれば、好奇心旺盛で無畏むいに手を伸ばしたかと思えば、触れる物全てを口の中へ放り込む者もいる。ヘビやクモといった、毒を持つ生物を食べてしまった事に気付いた母親が困惑する場面も多く目にした。

 誕生から数十年の月日が流れると、ニンゲンの感情は安定を見せる。個体差による好感と嫌悪の感情の違いがオイオイ明白になってゆく。好きな物を収集したり、好きな者同士が集まり行動を共にするようになる。逆に、嫌いな物には見向きもせず、嫌いな者とは極力接触しない、といった行動習慣が顕著に現れるのだ。

 更に年を重ねたニンゲンは、感情が平坦化して、もはや何を考えているのか分からなくなる場合が多い。中には年を重ねる毎にギャンギャン口煩く騒ぎたてるようになる者もいるが、これは例外だ。大半の個体は基本的な感情が欠落したのかと思うほど、静かに落ち着いた様子になる。時折、昔を懐古して一人ホロホロ落涙し、またニコニコ微笑を浮かべるようになる。


 ニンゲンというのは実に興味深い。ニンゲンの作り出す物は魅惑的で、耽美的で、敬服と賞賛に値する。ニンゲンが作り出した建造物は機能的で、美術的で、見るだけでも愉快な気持ちになる。特筆すべきは食に対する拘りだ。食事という、他の生物が機械的に、本能的に行う行動を、ニンゲンは芸術の域にまで昇華させる。

 明治製菓というニンゲンが作った集会所がある。決まった時間に決まったニンゲンが集っている。何をしているのかと思えば、沢山の包装された物を作っているではないか。綺麗に整列した丸い包装紙の中へ、銀色の機械から伸びた管を通って白い液体が注入される。それが一定の調子で決まった方向に移動すると、今度は青と白の紋様が描かれた紙が下りてきて蓋をする。どうやらこれは『スーパーカップ』と呼ばれる物のようだ。

 森永製菓と呼ばれるニンゲンが作った集会所がある。決まった時間に決まったニンゲンが集っている。集会所の入口の近くには、どこかで見た彫像が建っている。黒い胴体、赤い頭部、そして何より黄色の大きな嘴が特徴的。そうだ、これは以前、世界の裏側で見かけたオオハシと呼ばれる生物だ。ニンゲンの会話を聞いていると、これは『キョロチャン』という名で呼ばれているようだ。集会所の中にも、大小サマザマなキョロチャン像がある。そしてこの集会所で作られる包装紙にも、同じ絵柄が描かれていた。


「・・・これが・・・チョコボールという物・・・食べてみたい・・・」


 ニンゲンの創造物は他にも沢山ある。『トウキョウタワー』『エッフェルトウ』と呼ばれる物は、先が鋭く尖った不思議な形をした建造物だ。興味はあるが、ショウショウ威圧感もあるので、触れたいとは思わない。『トウキョウスカイツリー』『シーエヌタワー』と呼ばれる物は、先の物に比べやや丸みを帯びていて、より興味を惹かれる。『ペトロナスツインタワー』と呼ばれる物も素晴らしい。一つではなく二つの突起があり、その間に埋もれてみるのも面白そうだ。『イズモヒノミサキトウダイ』と呼ばれる物はどうだろうか。潮風と波飛沫が舞う海辺の崖に建つ、白く神秘的な建造物だ。大変美しく、畏敬の念すら抱く。幾度となく眺める間に、海風をまとったその場所は、世界で最もお気に入りの場所になった。


 何億年の時が流れただろう。形ある物は全て壊れ、生物はことごとく命果てた。私が愛した世界は、遂に終焉を迎えた。愛しかった生物。美しかった物。ソレゾレの感情。何もかもが無へと帰す。世界の全てを私の元へ。終焉を迎えた世界の、特に愛したシナジナを胸に抱く。


 それはニンゲン。

 それはチョコボール。

 それはイズモヒノミサキトウダイ。


 世界が存在している間、それらに干渉する事は禁忌であった。しかし今なら。世界が終わり、全てが失われた今なら。思い出の波音に包まれる事ができる。美しい灯台に寄り掛かる事ができる。愛しい人間に姿を変える事ができる。念願のチョコボールを味わう事ができる。

 それから一時、私が愛した世界を堪能してから、世界の全てをギュギュっと凝縮する。それが『ブラックホール』と呼ばれる物だと知っている。沢山の物と思いを一点に集める。限界点に達した世界は大爆発ビッグバンを起こし、再び宇宙へと散らばってゆく。


「・・・チョコボール・・・美味しかった・・・」


 新しい世界が生まれ育つまで。あの愛おしい世界の思い出に浸ろう。

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