孤独のバリスタ
三宅 蘭二朗
孤独のバリスタ
マシンという言葉を聞いて連想するものは、そいつの生業やライフスタイルやパーソナリティによって違ってくる。例えば、車乗りにとっては車であり、写真家にとってはカメラになる。グラフィッカーやハッカーであればコンピューターということになるだろう。
マシンは、人間が生身では苦労する難解なタスクを滑らかに解決へ導いてくれる。もはやそれは単純な道具という枠を超え、文字通り
ふと、そんなことを思いながら俺は、エスプレッソマシンのクロームのボディを撫でた。これが俺にとってのマシンだ。愛想の無い歪んだ表情が俺を見つめ返すが、それはクロームに反射した俺自身だった。
「どうしました?」
カウンター越しに俺に声をかけたのはホール担当の接客ボット、アーモンドだ。滑らかな曲線のボディは、日系モデルのアヤミ・エヌを彷彿させる
「人間はたまに物思いに更ける生き物なんだよ」
俺が答えると、アーモンドはエレクトリック・スマイル――感情を持たないボットがボジティブな印象を表現するときに見せるフェイスサイン――を浮かべて、滑るように去っていった。ホール担当ボットは歩かずに踵についたホイールで移動するため、実際に滑るように動く。ドリンクや食事を各テーブルへ安全にサーブするときは、歩くよりもこちらの方が当然いい。
ホールにはアーモンドの他、ヘーゼルとカシューという2体の接客ボットが常駐している。うちの店ではボットたちはみな、ナッツの名前が付けられている。このカフェで働く労働力は、俺以外すべてボットだった。そういう意味ではどちらかと言えば俺の方が
そう、今の世はボットに支配されている。
ボット。高度なテクノロジーの潮流を漂う禁断の果実を齧り、人間に勝るとも劣らない知能を得たマシンたち。
プログラムという行動規範に忠実なボットたちは、人間が苦痛を感じるような延々と続く単純作業を手助けし、痛覚を持たない金属製のタフなボディを活かして、危険を伴う過酷な労働を肩代わりするようになった。やがてコンピューター技術が進歩すると、ビッグデータとティープラーニングによって、極めて煩雑な作業もこなせるようになった。
俺は室内と屋外を隔てるフレームレスの巨大ガラスから、東洋随一のオフィス街を貫く道路に目をやった。6本のレーンをひっきりなしにボットヴィークルが往来している。どの車両も寸分の狂いもない車間距離を保ちながら、ジャストの法定速度を遵守して走行している。運転席に人の姿はない。ドライバーは精緻な都市のマップと完璧な交通マナーを記憶したAIドライバーだ。
いつしか、気まぐれに交通事故を起こす人間はアスファルトの上から排除されたが、これは誰もが予想し得た当然の結果だった。事故の危険を恋人さながらに助手席に乗せてハンドルを握る人間は、いまや、趣味でサーキットを駆けずり回る車乗りの
対人のコミュニケーションを必要とする職種でさえもボットに取って代われた。役所の窓口もホテルのコンシェルジュも介護サービスもすべてだ。やつらはマナーもワークフローも非の打ち所がなく、問題解決のアプローチを決して間違わない。
俺は視線をアーモンドに転じた。オーダーの処理と客の対応を完璧にこなしている。ここに万が一厄介な客が現れても、アーモンドが最適な方法で解決するだろう。うちの店でもトラブルシューティングはすべて接客ボットが担っている。
近頃では、創造性を必要とするデザイナーや作家にもボットの参入が著しい。既存作品のライブラリ、売れ線や時代性の解析、そこから生まれる閃きのパターン。これらを駆使することで、クリエイターボットは人間と遜色ないアイデアを生み落とす。
合理性、安全性、生産性、それらを満足させるために人間は道具を生み出し、それをマシンへ発展させて、ついにはボットに行き着いた。これが人間の求めた果ての楽園なのだ。その楽園に人間がいらないという皮肉は、もはや文学の域に達している。
いまや人間が社会で担うのは、管理と責任を伴う仕事くらいのものだ。だが、それはボットの管理者という支配層を無理矢理に作り出して、掘っ立て小屋めいた聖域にしがみついているに過ぎない。俺はその滑稽さの犠牲になるつもりはない。だから、俺は今日もボットたちしかいない店の中で、たった独り生身の人間としてエスプレッソマシンと向き合っている。ここはボットに飲み込まれた人間社会で俺が守り抜く砦であり、マシンは俺が両手に構える聖なる槍だった。
エスプレッソは全自動のマシンでも抽出することができる。昨今のそれは性能も抜群にいい。だが、それでもバリスタの手で抽出されたエスプレッソには敵わないだろう。
日本には炊飯器というライスクッカーがあるが、どれほどテクノロジーが進み、羽釜の材質や熱の伝達、水分の対流、搭載されたAIなどに拘っても、それが目指すところはどこまでいっても伝統的な釜戸で炊いた米で、勤勉な日系メーカーは飽くことなく未だにそれを追い求めている。
そう。アキレスが決して亀に追いつけないように、テクノロジーは伝統に到達できない。俺がマシンで抽出するのは、単なるエスプレッソではない。伝統が至高であることの証明だ。先人たちから受け継がれてきた
2人組のビジネスマンが、丸テーブルを挟んで、何某とかいうデンマーク製建築ボットがデザインした2脚のチェアに向かい合わせで収まっている。テーブルの天板はタッチパネルスクリーンにもなっていて、客が席に着くなりふわりとバックライトがオンになり、メニューが表示される。客はタッチパネルを操作して注文を選び、俺は専用モニターを使い、店のオーダーシステムでそれを確認する。
カフェでは、あらゆるフードやドリンクもすでにボットの支配下にあった。オーブンや冷蔵庫が一体化したキッチンシステムと融合し、ビデオゲームのボス然としたビジュアルに迫っている調理ボットのマカデミア――通称マック――がその王だ。
だが、2人組の注文はカプチーノが2つ。神が求めたのは俺だった。
エスプレッソマシンをひと撫でする。エスプレッソは、豆を極限まで細かく挽いて湯水との接触面積を可能な限り高め、高い気圧をかけて旨味と風味を余すところなく抽出したコーヒーだ。この抽出時の高い気圧のおかげで、豆の中の油分と湯水の水分とが乳化し、他のコーヒーにはない独特のテイストが生まれる。抽出方法が特殊なため、エスプレッソは専用のマシンがなければ抽出できない。そしてそのマシンを申し分なく使いこなして、正しいエスプレッソを抽出できるのがバリスタだ。
エスプレッソマシンには大きく分けて四つの種類がある。スイッチひとつで抽出が全自動でできるスーパーオートマチック、湯温や抽出量を自在にできるオートマチックと、それよりもよりマニュアルに頼る部分の多いセミオートマチック、そして手動式だ。
全自動で抽出までできてしまうスーパーオートマチックはバリスタいらずで、ボタンひとつで誰でもうまいエスプレッソを作れるが、人の手を介さないそれは味も画一的だ。一方、手動式は手間がかかり過ぎるし、店舗営業で何杯も抽出するには味の安定感に欠ける。
その点、オートやセミオートならば安定感を担保した上で、バリスタの技術をエスプレッソに閉じ込めることができる。
俺が使っているのは抽出ヘッドが3つある3連式のセミオートマチックだ。本場イタリアで百年以上の歴史を誇り、ボット社会に後ろ足で砂をかけるように、今でも一貫したハンドクラフト生産を貫き、世界中のトップバリスタたちから混じり気のない高い賞賛を浴び続ける老舗メーカーの1台だ。深紅のペイントと素地のクロームのツートーンがエロティックに融合したイタリア製特有の気の利いたフォルムも一級品の証と言っていい。
このマシンには、抽出ヘッドごとにボイラーが分かれているという特徴がある。ミルクを温めるスチームノズルにも専用のボイラーを備えているため、計4つのボイラーを持っている。カフェの場合、1日に何杯もエスプレッソを抽出するため、常に安定したクオリティが保てるよう、連続使用しても湯音が落ちないパワーが求められる。だが、複数の抽出ヘッドを単一のボイラーでまかなうマシンだと、どうしても湯温の低下をまぬがれない。
だが、このマシンなら、3つのヘッドを順番に使うことで湯音の低下を防ぐことができるし、ヘッドごとに温度を変え、煎りや挽きの細かさを変えた豆を使い分けるなど、
2杯分のエスプレッソを抽出するため、俺はダブル用のポルタフィルターを手に取った。ポルタフィルターは、挽いた豆を詰めてマシンの抽出ヘッドにセットするための専用の器具だ。ハンマーのような形をしていて、ハンマーヘッドの代わりに、豆を詰める円筒形の深めの皿のような器がついている。ダブル用はシングル用に比べて器が深く、抽出したエスプレッソが2つのカップに同時に注がれるように、器の下の抽出口が2股に分かれている。
俺はポルタフィルターに豆を詰めるため、豆を挽くグラインダーのスイッチを入れた。コーヒー豆にとっての天敵は酸化だ。よって、豆は抽出する直前に挽く。グラインダーの下にポルタフィルターをセットしてレバーを引くと、今しがたサラサラの超極細挽きにされた豆がポルタフィルターの上に落ちる。豆はアラビカ種100%でブラジル産をベースにしたケニア産とニューギニア産のブレンドだ。深くローストされた豆の粉は、まるで肥沃な土を思わせ、豆の育った故郷を
フィルターの向きを変えながら何度かレバーを引き、小山ができるくらいまでフィルター内にまんべんなく粉を落とす。2杯分だから粉は重さにしてだいたい18gほどだ。
充分に粉を盛ると、フィルター内に均一に収まるよう、指で優しく撫でてならしていく。特にフィルターの縁には隙間ができやすく、そこから圧力が漏れると完璧なエスプレッソは抽出できない。フィルター内で粉の密度にムラを作るのはタブーだ。均一に隙間なく粉が収まったら、収まり切らずに中央で緩やかな山なりになった余分な粉を指ですり切って落とす。
粉が収まったらタンパーを使って豆を押し固める。タンピングだ。タンパーはフィルターより1ミリほど口径の小さいスタンプのような形状をした
エスプレッソは抽出のために豆に気圧をかけるのだが、これに適する気圧はなんと9気圧。力にすると実に60kgに及ぶパワーが、たった18gの豆にかかるのだ。タンピングはこのパワーによって粉状の豆がフィルター内で暴れないよう、豆を強固な塊にする作業だ。
粉の上にタンパーを置き、均等に力がかかるように垂直に力を加える。力のかけ方に偏りが出ても、詰め方が緩くても正しいエスプレッソは抽出できない。バリスタの腕が出るプロセスだ。
タンピングを終えたら、まず、抽出液の減温を防ぐために抽出ヘッドからほんの数秒間、湯を空出し、ヘッドを温める。温まったらフィルターを嵌め込み、動かなくなるまでしっかり固定する。
カップウォーマーとなっているマシンの上部から温まったカップを2つ取り、抽出口の下に並べる。
お待ちかねの抽出タイムだ。抽出スイッチをオンにする。すると、しばらく間を置いてから、エスプレッソがとぎれとぎれに滴り落ち始め、やがて絶え間なく流れ出す。20~30秒の間で20~30mlを抽出するのが理想で、俺とマシンのコンビネーションでは28秒で28mlがベスト。それ以上続けると、お呼びでない雑味がエスプレッソに混ざり始める。
抽出中のエスプレッソは少しトロリとした質感で、これは微細な泡と液体が混じった状態にあるだからだ。これがカップの中で分離し、下には液体、表面にはタイガースキンと呼ばれる泡の層――クレマ――が出来上がる。このエスプレッソに優しくかけられた虎の毛皮の毛布が、温度低下を防ぎ芳醇なアロマを封じてくれる。
エスプレッソの抽出が終わると、カプチーノのためのフォームドミルクを作るため、ピッチャーにミルクを注ぐ。フォームドミルクは泡立てたミルクのことで、マシンの端から伸びたスチームノズルを使う。高温になれば風味が変わってしまうミルクは、65℃を超えてしまう前に泡立て切らなければならない。とは言え、エスプレッソマシンのスチームは強い。俺のマシンの場合、20秒足らずで250mlのミルクがあっさりと65℃を迎えてしまう。だから、しっかりと泡立てる時間を得るため、ミルクはキンキンに冷やしておく。
スチームノズルを一旦、空ぶかししてからピッチャーに差し込む。バルブは最初から全開だ。ピッチャーを手に持ってミルクの温度を肌で確かめながら、ノズルを水面すれすれにポジショニングし、空気を抱き込ませて泡を作る。十分に泡ができたら、ノズルを深く差し込み攪拌させて泡を細かく潰しながらミルクの温度を上げ、ノズルがキュルキュルという鳴き声を上げ適正温度になったら、バルブを閉めてノズルを出す。こうして約15秒のプロセスで50℃あたりのフォームドミルクが完成する。
ピッチャーの底をカウンターに打ち付けて粗い泡を潰し、ゆすってミルクを回し、液体と泡を馴染ませる。フォームドミルクの表面がシルクのように艶やかに波打つ。
これを抽出しておいたエスプレッソの中央に注ぐ。カップをピッチャー側に傾け、すぐに前方へずらす。注いだミルクが表面に浮いてきた段階で、カップを小刻みに揺らしながら引いていく。揺らしの振り幅は最初が大きく、徐々に小さくだ。注ぐミルクがカップの縁に到達すると、今度は一本線を描くように一気に反対側まで動かす。するとカプチーノの表面に美しいリーフ模様が現れた。
同じ工程を繰り返して2杯目を入れると、ソーサーに乗せてカウンターに置いた。アーモンドが静かに寄って来て、二杯のカプチーノをトレイに乗せた。
「美しいですね」
接客ボットは同僚への賞賛も忘れない。職場にいる人間の労働力のモチベーションを高く保つための洗練された機能だ。ボットばかりとなった今では時代遅れの機能だが、俺は嫌いじゃない。
「ありがとう」
カプチーノをサーブされたビジネスマンたちが、早速カップに口を付けた。
酸味と苦みと甘みがそれぞれに座標を持った立体的な味わいに、豊かなフレーバーをまとい飲み下した後もさわやかなアフターテイストが長く持続するエスプレッソ。カプチーノは、その強くて深いエスプレッソの味わいを、甘みの引き立つミルクのマイルドさでより軽快に飲める見た目も洒落た飲み物だ。
ビジネスマンは口元にミルクの泡をつけたまま、シンクロした動きでカップをソーサーに置いた。
「うまいねぇ」
賞賛をユニゾンして、2人はエレクトリック・スマイルを浮かべた。
俺は外したポルタフィルターの豆を捨てた。9気圧にさらされ、焦げたスポンジケーキのような抽出後の豆がトラッシュボックスに消えた。
新たな注文をオーダーシステムで確認し、俺はすぐさま別のポルタフィルターを手に取った。次のエスプレッソの抽出だ。どれほどテクノロジーが進化して、この先、トップバリスタと遜色のない手練を身につけたボットが現れたとしても、俺は常にその先を歩んでいるだろう。急速に進化の歩みを遂げた彼らにとって、道具を使い始めてからここまで来るのに数百万年をかけた人間はのろまな亀だろう。だが、それは無限に近づけても決して追い抜くことのできない亀だ。
次のエスプレッソがデミタスカップに満ちていくのを俺は見守る。この僅か30mlの中に俺が込めているのは真心だ。クロームの
少なくとも俺はそう信じ続ける。たったひとり楽園に取り残されたとしても。
孤独のバリスタ 三宅 蘭二朗 @michelangelo
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