有為に恋して

ikai

有為に恋して

 四季が移ろいゆく様に人もまた変わっていく。春、人事異動だなんだと言って社内が騒がしくなる度に。夏、法事だからと地元に帰省する度に。秋、運動会や文化祭で子どもの楽しそうな声が聞こえてくる度に。冬、クリスマスかバレンタインだかなんかで愛とかいうものが生まれて、またある所で消えているのを見る度に。俺の中で今でも色褪せる事なく思い出される言葉がある。


「人間っていいよなぁ」


 高校の時のとある友人が言った言葉。今、彼の事を思い返してみても、本当に友達だったのか不安になる程、それこそ不思議に思ってしまうぐらい連絡先から名前に至るまで、個人情報と言える情報は何も、覚えていないけれど。



 そいつは変わった奴だった。気づけば朝礼にいて、帰りの挨拶が終わって俺が下駄箱に到着した頃には下駄箱の前のいつもの場所で俺を待っていた。最初はあまりの早さにびっくりしたけれど、なぜと聞いてもするりと話を変えられるものだから聞くのもやめてしまった。遅いじゃないか、と言って目を薄め、にやりと笑ってくる彼はまるで猫の様だなぁ、なんて思っていたけれど、今なら分かる、アレは狐の笑みだった。昔よく行っていたお稲荷様の社の前の石造りの像。まさにあの笑み。


 彼と会った最後の日。あの日も、彼は俺が来たと分かると俺が靴を履き替えるのも待たずに歩き出した。俺の方を見ながら後ろ向きに歩き出したと思ったら、くるりと回って横飛びにぴょんぴょんとタイルからその隣のタイルへと飛び移りだしたり、肩にかけた通学カバンのせいなのか多少アンバランスとも感じられる足つきで、右へ左へとふらふらするものだから、ハラハラする気持ちを抑えながら思わず呼び止める。だが、彼はその奇妙なステップをやめる事はなく、いつも決まって俺の言葉には何も関係のない、突拍子もない事を話し始めるのだ。


「なあなあ、君さぁ」

「あ?」

「彼女いるの?」

「…はぁ!?……え、あ……いるわけ、ないだろ」

「まっ、いない方ががいいよね~」

「え、なんで?」

「…いる方がいいの?」

「そりゃいた方が、なんかその、楽しいだろ」

「ほーん」

「いや、そのなんか彩りがあるというか……って、そうじゃなくて! え、なんで?」

「なんでって何が?」

「いや、彼女はいない方がいいって」

「あー、だってさ、…死んだら嫌じゃん?」


 さぁっとまるで会話の途切れを埋めるかの様に風が木々を揺らす。タイルの上をぴょんぴょんと飛んでいた彼は飛び移ったタイルの上でくるりとこちらを向きいつもの様ににやりと笑った。こちらを振り返ってからその口が弧を描く少しの間、彼の表情がほんの少しだけ寂しそうに見えた、気がした。


「…いや、え、いやいや、死なないだろ、普通」

「うーん、まあ、そうかもねー。でも、ほら、別れる!とかさ」

「まぁ………確かに?」

「人っていうのは、すぐいなくなるし、変わってゆくからね〜」


 あの一瞬の寂しそうな顔とは裏腹に薄情とも思えるほどあっけらかんとした口調でいうものだから、思わず黙り込んでしまう。俺がこの弛緩している様でどこか張り詰めている様な、なんとも言えない空気感に口をつぐむと彼はこう言った。


「人間っていいよなぁ」


 そしてそのまま彼はまたぴょんぴょんと次のタイルへと飛び移ってゆき、俺もそれを眺めながら隣を静かに歩く。お互い口を開くことはなかったか、気まずい、という気は不思議と起こらなかった。そうして彼はいつもの路地の前に着くと、またね! と言って小道の奥へ消えていくのだ。アンバランスにくるくると回りながら。掴みどころのない奴だが、どこか"人間"というものから外れている様な彼が言う、人間っていいな、という言葉は不思議な重みを持って心の中にストンと落ちていった。




 しかし、人は変わっていくものだ。その例に違わず、俺の彼との関係も長くは続かなかった。春になり、一つ学年が上がって新しく友人ができてからというもの、密かに心の支えとなっていた、のかもしれない、あの不思議な彼とはあまり会わなくなった。忘れていた、と言われればそうなのかもしれないが、見つけられなかったのだ。朝礼の時に辺りを見渡しても、帰りにいつも彼がいた下駄箱の前を見てみても。その時の俺は引っ越したのかとでも思っていたが、不思議なことに後で彼の事についてクラスメイトに聞いてみてもどこかぼんやりとしていて釈然としない答えしか返ってこなかった。



 ある日、大学生になった俺は夏休みに上京先から懐かしい地元に帰省しに来ていた。高校の恩師に会いに行った帰り、高校の時に彼と別れていた路地の前を通りかかった。ふと、気になって、その先に進んでみる。見かけよりくねくねとしていた道はどこか彼の歩みを彷彿とさせる様で、少し歩みを早めて先へと進む。すると、目の前に石造りの5、6段ほどの階段が現れた。トントントンとそれを上っていく。……彼は目を薄め、にやりと笑っていた。そこには、狐が、彼がいた。お稲荷様の社の前で上機嫌そうに片足をあげた彼は口をにやりと横に開き、こう言っている様な気がした。


「人間っていいよなぁ」

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有為に恋して ikai @ikai_imaginary-solution

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