第3話「包丁」
オタク君は必死の形相で逃げていく。
階段を降り、1階へ。
しかし、階下へ降りたものの、どうしたらよいか迷っていると、
「こっち、こっちに」
地味子が部屋の中から呼び、急いでそちらへと入り込む。
その部屋はギャラリーのようで、いくつもの絵画が飾られている。
その絵のうち、正面に一番大きく飾られている絵は家族の絵で、裕福そうな両親、その間に長い黒髪を携えた深窓の令嬢といった雰囲気の少女。
「この絵はもしかして……」
「なにか知っているんですか?」
「この屋敷は実は一家斬殺事件があったんだ。犯人はこの令嬢だと言われているんだけど、なんでも包丁で家族から使用人も含めて全員を殺したらしい。で、不思議なのはその令嬢も姿を消していて、死体も見つかっていないんだ。それから、この屋敷に入ったものは生きて出たものはいないって言われているんだ。その令嬢が殺しているからだって。この屋敷の主ならこの屋敷内で好き勝手できる力があっても不思議じゃないよね。現に、窓とか開かなかったでしょ」
「はい。わたしも逃げられないか確認しましたけど、普通の窓なのに、一切開かなかったです」
「きっと、この洋館自体も何かあるところに、あの殺人鬼と出くわすなんて、最悪だ」
オタク君は頭を抱えてうずくまる。
「でも、あの殺人鬼は玄関を壊せていましたよね。もしかしたら、あの殺人鬼にどこか壊してもらえば出られるかもしれません」
「…………わ、わかった。それならぼくが囮になる」
※
オタク君を見失った羊面の殺人鬼は再び徘徊をはじめ、殺人包丁はいつエンカウントするか気が気でなかったし、今、自分を持っている相手は、殺人鬼に対して殺意バリバリなのも不安の種であった。
『どうしてこんなことになっているの!? これでは、殺人鬼を殺しても、このギャルが殺されても、結局、どなたかを血祭にあげる未来しかありませんわ! こうなったら最後の手段ですわ! このわたくしが華麗に説得してみせてよ!』
『ほら、ギャル子さん、復讐なんて虚しいものですわ! きっと天国の彼、えっと肉塊君もそんなこと望んでませんことよ! それに勝てる確率もそんなに高くないと思うのですわ。若い身空なのですから、もう少しご自分を大切になさって。ね!』
しかし、ギャルはまるで聞く耳を持たず、ずんずんと進んで行く。
『ああ、わたくしの特性で人のいる方へ確実に歩んでますわ! 最初に出会う人があのオタク君や地味子ならいいのですけれど……』
階下へと降りて行った順番などを考えると、完全に殺人鬼の方が先に出会うだろうと殺人包丁は思っていた。ワンチャン地味子の可能性もあったが――。
『ああ、やっぱり、殺人鬼ですわぁ!!』
偶然、殺人鬼の背後をとれたギャルは、包丁を構え、そのまま突撃した。
「ああああああああっ!!」
狂気の殺人包丁は殺人鬼の背中に深々と突き刺さる。
『いやぁぁぁぁっ!! 止めてくださいまし!! もう血はいりませんことよ! お腹いっぱいですのぉぉぉぉぉぉ!!』
ギャルは狂気の表情を浮かべ、包丁を抜くと、もう一度、刺すべく振り上げる。
「死ねぇぇぇぇ!!」
しかし、その包丁が振り下ろされることはなく、殺人鬼の拳がギャルの頭部を捉え、180度、その首が回転していた。
『な、なんとか、なりましたわ。殺人鬼グッドジョブですの。あ、でも、わたくしのことは無視してかまわないですわよ。本当に! フリとかじゃないすのよ! 確かに、わたくしほど魅力的な武器はないということは自負しておりますが、その御立派な肉体がありますでしょ。わたくしに頼らなくてもよろしいんじゃなくって?』
必死に言葉を投げかけるが、果たして通じているのか通じていないのか。その羊面からは表情は一切伺えなかった。
だが、屈んで、ギャルの死体に手を伸ばそうとする所作だけで恐怖を煽る。
『止めてくださいまし! ああ、もう無理ですわ。このあとわたくしはこの男にいいように扱われ、ぶくぶくと太って破裂するのですわぁ!』
おいおいと泣き声をあげていると、
「おいっ! 殺人鬼、こっちだっ!!」
『へ? どちらさまですの?』
殺人包丁は視線を動かすと、そこにはオタク君が殺人鬼の注意を引こうと大きく手振り身振りをしている。
『テラ主人公ですわぁ!! 素晴らしい働きでしてよ』
殺人鬼はオタク君を追いかけ走り出す。
『やりましたわぁ! これでわたくしの生存は確定ですわっ!! わたくし逃げ切りましたのぉ!!』
狂気の殺人包丁は歓喜に身を震わせた。
※
再びオタク君は殺人鬼から逃げながら走るが、今回は明確に目的があった。
一度ギリギリで殺人鬼をかわし、3階へと上がって殺人鬼をおびき寄せてから、一気に1階まで降りる。
相手もしびれを切らし、本気のスピードで追いかける中、2階から1階に降りるところで、オタク君は不意にジャンプし、不自然に出ている紐に飛びついた。
「そのスピードなら避けられないでしょ」
階段の入り口にはロープが張られており殺人鬼はそれに躓くと、スピードの乗った巨体はまるでボーリングの玉のように玄関まで転がり、下駄箱を含めて破壊し尽くす。
「これで、外に出られる!」
オタク君は2階でロープを張っていた地味子と顔を見合わせてから紐を離して降りる。
オタク君は倒れる殺人鬼の側を恐る恐る通ると、羊面の大男はガバッと起き上がり、オタク君の足首を掴む。
「う、うわぁぁぁっ!!」
オタク君が悲鳴をあげると同時に、殺人鬼に下駄箱の残骸の角材が打ち込まれる。
「離しなさいよっ!!」
地味子は力の限り、何回も何回も角材で殴りつけると、そのうち、オタク君から手が力なく離れる。
「ハァハァハァ!」
地味子は角材を手放すと、そのままオタク君と屋敷の外へ脱出したのだった。
※
『おほほほっ! やりましたわ! 完璧ですわ!! 誰一人殺すことなく、この場を乗り越えて見せましたわ! 少しお休みしたらまた血を啜ってやりますわぁ!! あと、問題と言えば、片付けくらいですわ……、片付け、マジにどうしましょ』
そんなことを思案しつつ、惨状をもう一度確認しようと意識を凝らす。
『あれ? おかしいですわ。3つあった死体がなくなってますわ。わたくしは自分で捌いたものしか食べない主義ですし……』
ずる、ずる……。ずる、ずる……。
音のする方へ意識を割くと、そこには血で染まったズタ袋を引きづりながら徘徊する、羊面の殺人鬼。
『ひぃ~ですわっ!! あ、ちょっと、お待ちになってくださいまし!』
殺人鬼はギャルの死体も詰め込もうとし、狂気の殺人包丁に目を止める。
そして、おもむろに掴み、値踏みするように眺めてから、それを腰に佩ぐ。
『きゃあ~、誘拐ですわ! わたくしが魅力的だからって誘拐しようとしていますわぁ!! くっ、ここから出されるくらいなら、一人くらい頑張って喰らってやりますわ!!』
狂気の殺人包丁の誘惑に一瞬くらりとよろけた羊面だったが、すぐに平静を取り戻す。
その際に羊面がポタリと落ち、殺人鬼の素顔が露わになると。
『イ、イ、イケメンですわぁ!! わたくし、あなたとならどこへでもお供しますわぁ!! 一緒にバリバリ殺ってやりますわ!!』
こうして新たに洋館に羊面の殺人鬼が出るという噂が生まれ、その事実は誰一人確認して戻ることはなかった。
Happy END
狂気の殺人包丁は殺したくない! タカナシ @takanashi30
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