第2話「殺人」

『とにかく、この場所から動かないといけないですわ! こんな玄関から近くの台所じゃ、すぐに麗しいわたくしは見つかってしまいますわね。殺人鬼以外なら誰でもいいですの。どなたか来てくださいまし!』


 その願いが通じたのか、台所に飛び込むように逃げ込んでオタク風の男。


『ナイスですわ! 一番、わたくしを逃がしてくれそうな子が来てくれましたわ!!  ほら、わたくしを拾いなさい!!』


 オタクな青年はまるで殺人包丁に導かれるように床に落ちている包丁を拾う。


「こ、これでもないよりはマシだよね」


 あの殺人鬼に勝てるとは思えないけど、という思いもあってか震える手で包丁を握る。


 強く包丁を握っていると、次第に表情がトロンとしだし、先ほどまでの恐怖に震えていた姿は微塵も感じられず、とぼとぼと歩き出す。


「血を……。殺して、肉を……」


『わたくしを持つと、どうしてもわたくしに捧げる血を求めてしまうのですわ。これが魔性の女の性。悲しい性ですわ! でも、今は殺さなくていいのですわよ! 移動だけで! 移動だけでいいのですわっ!!』


 オタクの青年は人の気配がする方へ、ふらふらとした足取りで向かっていく。


『ど、どこに行くんですの? わたくしドキドキですわ。殺人鬼以外でしたら、よろしくってよ』


 階段を登り、2階へ。

 そこには、


『あ、あれは! 地味子ですのぉ! たぶん、その女についていれば逃げられますわ。ここにわたくしを置いて、さっさと一緒に屋敷から出ていくのですわ!』


 地味子はオタク君に気づいていない様子で、オタク君は足音も立てず、そろそろと血を求め近づいて行き、包丁を振り上げる。


『ちょっ! お待ちになって!! ダメですのよ!! お仲間でしょう! 意識を強くお持ちになりなさいな!! わたくしの誘惑に負けてはダメよっ!! ちょっ!! ちょーーっ!!』


 しかし、包丁は振り下ろされることなく、地味子の首筋、ギリギリで止まった。


『あ、危なかったですの。もう少しで、また食べてしまうところでしたわ』


 オタク君はハッとしたように包丁を投げ捨てる。


「ぼ、ぼくは何を……」


「きゃっ! び、びっくりした。いきなり後ろに立たないでください……」


「ご、ごめん。なんか、自分が自分じゃないような感じがして、気づいたらここに」


「こ、こんな極限状態ですからね。それより、あの羊面の怪物は?」


「わからない。とりあえずここまででは見てないよ」


 オタク君は首を横に振りながら、そう答えた。


『そうですわね。あの殺人鬼はどこにいるのかしら。また見てみることにしますわ』


 狂気の殺人包丁は再び意識を研ぎ澄まし、洋館の内部を探る。


                ※


『あの殺人鬼は……、あ、3階のお父様の私室に居ますわね。それと、そこにはチャラ男とギャルも一緒ですわ』


 私室にて、殺人鬼と遭遇してしまったチャラ男はギャルを庇うように前に出る。


「俺が引き付けるから、その間に逃げるんだ!」


「で、でも……」


「大丈夫、こんなところで死なないさ。うおぉぉぉ!!」


 まるで主人公のように殺人鬼に向かっていくチャラ男。そして、その雄姿を振り返ることなく、精一杯逃げるギャル。


 殺人鬼は向かってくるチャラ男の攻撃を受けるがビクともせず、そのまま悠々とチャラ男を捕まえ、床へと叩きつけた。


 一瞬で肉塊と血だまりが生まれる。


『ああっ!! 汚ったねぇですわっ!! わたくしのお屋敷になんてことをっ!! これ、どうしたらキレイにできますの? お掃除業者さんとかあるじ不在でも来てくださるかしら?』


 殺人包丁が絶叫の声をあげている間に、羊面の殺人鬼は踵を返し、部屋から出ていく。


『あっ、まずいですわ! 見失いましたの!! もしかしたら、こちらに来るんじゃないですの?』


 狂気の殺人包丁は意識を戻し、またあのオタク君に持って貰おうと画策するのだが……。


『あれ? どこにもいらっしゃらないですのよ!! どちらにお行きになって?』


 周囲にはすでにオタク君も地味子も居なくなっていた。

 

『確かに、こんなところで長居するのは愚策ですから、当然と言えば当然ですわね。…………あの殺人鬼が来たらどう責任とるおつもりですの!? 来ないことを全力でお祈りするしかないじゃないですの!』


 しかし、現実は非情であった。


 ギシッと床を巨漢が踏みしめる音が響く。

 その音は間違いなく徐々に近づいて来ていた。


『こ、こっちに向かってきますわ。な、なら、わたくしにだって考えがありますのよ!』


 殺人包丁は念を飛ばすように力を入れる。

 すると、しばらくの後、あのオタク君がふらふらと現れる。


『ふふんですのっ! わたくしの魅力を一度知った者なら、わたくしがちょーと頑張ってお願いすればこの通り駆けつけてくれますのよ』


 見事にオタク君と殺人鬼をぴったりのタイミングに引き合わすことに成功した殺人包丁。


「な、なんで、ぼくはここに? あれは殺人鬼? やっぱり、この屋敷自体も噂通り、呪われて……」


 オタク君はそう言いながら、来た道を戻り逃げていく。

 新たなターゲットを発見した殺人鬼も、包丁を見つけることなく素通りしていった。


『ふぅ、これで一安心ですの』


 そのとき、彼女に暗い影が落ちる。


「この包丁。なんだか、惹かれるわ。これがあれば、彼の仇打ちも……」


『えっ? ちょっと、お待ちになって、わたくし、そんな殺人鬼と戦う用ではございませんことよ!』


 ギャルは狂気の殺人包丁を持つと、その目に暗い光を宿した。

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