第349話 国破れて山河あり―1

 由利鎌之助とその従弟たる土屋重蔵は信州上田に帰還し、太郎山へと急いだ。山麓にそびえる寿老松の根元に座り、二人は竹筒の水を飲んでしばらく足をやすめた。鎌之助と重蔵の脳裏に、弁丸軍団に加わっていたわっぱ時代の記憶がよみがえる。在りし日の幸村や、佐江姫、望月六郎、根津甚八、穴山小助らの姿が走馬灯のように浮かび消える。

「みんな死んでしもうた。みんな逝ってしもうた」

 独り言のようなつぶやき声を漏らした重蔵に、鎌之助が声をかける。

「さ、参ろうぞ。佐江姫さまの墓前に」


 再び二人は立ち上がり、太郎山の頂きへと足を進めた。鬱蒼たる椿の森を抜けて、小さな谷を二つ越えて山道をのぼると、山頂への途中にある太郎山神社へとたどり着く。山伏姿の二人は肩を並べて参拝した後、やしろ脇の道をたどり、さらに足を進めた。


 痩身長躯の鎌之助が、うつむき加減でつぶやいた

「若……源次郎さま。まもなく佐江姫さまと会えまするぞ。姫さまがお待ちでございまするぞ」

 そのの結袈裟ゆいげさの胸には、白い布で覆われた箱包みがある。それは、幸村の首だ。

 鎌之助は幸村にさらに話しかけた。

「若。まもなく太郎山の頂きにござりまする。佐江姫さまがあの頃と少しも変わらぬお美しい笑顔で待っておられますぞ」

 重蔵が鎌之助の隣で、ひそかに目頭をぬぐった。


 二人が木立ちに覆われた昏い山道をしばらくゆくと、やがて頭上を覆う樹冠が途絶え、不意に視界が開けた。天空に一朶いちだの雲もなく、信濃の空は清く晴れ渡っていた。視界をさえぎるもの一つとしてない太郎山の山頂であった。

 そこに佐江姫の墓がしずかにたたずむ。

 苔むした三尺余の墓石の前には、村正の脇差と短筒がそなえられていた。それは、幸村が「わが形見」として火草に与えたものである。


 重蔵が鎌之助に向かって、ぽつりとつぶやいた。

「火草どのも左腕を失くされたものの、ここまで無事にたどりついたようじゃの」

「うむ。何よりじゃ。今頃、佐助とともに生まれ在所の戸隠村におるであろう」

 そう応えつつ、鎌之助が結袈裟の胸から白い布包みをはずし、それを佐江姫の墓前にうやうやしく供えた。

 

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