第341話 幸村の最期―2

 明石全登てるずみが落ち延びた頃、岡山口の徳川秀忠本陣に、一人の母衣ほろ武者が駆け込んできた。

 伝騎でんきである。


 馬からまろび落ちるように降りた母衣武者は、床几に座す秀忠の前に駆け寄って平伏し、息もたえだえに告げた。

「大御所さま、お討ち死に!」

 驚愕し、言葉を失った秀忠の代わりに、幕閣随一の切れ者である土井利勝が小声でただした。

「それは、ご本人か。それとも影武者のほうか」

「畏れながら、お三方全員、お討ち死にされてございまする」

「なんと!」


 家康本人はおろか、影武者二人も揃って討ち死にしたというのである。

 それは、断じてあってはならぬことであった。

 利勝はこの事実をすぐに隠蔽いんぺいせねばならぬと考えた。大御所が討ち取られては、徳川家の面子めんつは丸つぶれとなり、その威信は大きく揺らぎ、今後、秀忠の政権運営上、大きなきずとなり、支障となろう。

 眦をきっと上げた利勝は、陣中にあえて笑い声を響かせた。

「ハッハッハ。何かの間違いであろう。大御所さまはこの陣中におられる。秀忠さまとともにご健在じゃ」


 その直後、秀忠が利勝の意を察して、大きくうなずいた。

 利勝が母衣武者に近寄って、その耳元に何か吹き込んだ。

 母衣武者は「心得ました」と深く一礼し、その場を去った。


 このとき、切れ者の利勝の頭の中には、すでに家康の替え玉候補の顔がよぎっていた。

 ――徳川家の政権を揺るぎないものにしないうちには、家康公に死なれては困る。また再び影武者を立てねば……何としても、あの男を影武者に仕立て上げねばならぬ」


 去年の大坂冬の陣の際、土井利勝は進軍中に立ち寄った村で一人の男に遭遇していた。それは、阿倍野あべの村の名主、嘉兵衛かへえであった。嘉兵衛は家康の風貌と驚くほど酷似していたのである。

 ――あの嘉兵衛を当分、家康公の替え玉にするしかあるまい。せめて2年、いや1年なりとも家康公として、家臣や諸大名の前でふるまってもらわねばならぬ……。

 利勝は馬に鞭を当て、自ら阿倍野村に急いだ。







 



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る