第340話 幸村の最期―1

 さて、話は再び天王寺口に戻る。

 この合戦の日、明石全登てるずみは、幸村とともに家康挟撃策戦を立て、ともに戦うことを約定していながら、結局、合戦に間に合わなかった。

 全登としては、幸村と約束していた時間どおりに出陣したのである。先頭に十字架の馬印を掲げ、一騎当千の切支丹武士300名を率いての進軍であった。


 全登は確信していた。

「幸村どのが家康本陣に突っ込み、狼狽混乱した本陣をわが決死隊が背後から襲う。これで家康の首を刎ねられる。間違いなく討てる」と。

 馬上、蒼穹を仰いで、全登は胸の前で十字を切り、戦場へと急いだ。

「わが神、ゼウスのご加護あらんことを」


 ところが、全登は間に合わなかったのである。

 それだけ、幸村の突進が凄まじかったということであろう。真紅の疾風となって、まさに鬼神のごとき幸村の吶喊は、全登の想像を超えるものであったのだ。

 切支丹隊が戦場に到着したとき、目にしたものは、赤備えの真田軍がほぼ潰滅し、東軍の大きな渦に今しも呑込まれようとしている情景であった。


 もはや、全登が「われにつづけ!」と斬り込んでも、部隊全員に無駄死を強いることになる。

 しかも、戦場に千成瓢箪の馬印を見ることはできなかった。幸村の起死回生策の一つであった「秀頼出陣」は、ついに水泡に帰したのだ。

 万事休すの状況であった。


「やんぬるかな」

 全登は唇を噛み、大坂城の方角にとって返し、せめて総大将秀頼の足下で最後の一戦にのぞむことにした。

 そしてひつじの刻(午後2時頃)を迎えた。

 全登の精鋭部隊は、城に肉薄してきた東軍の先鋒隊を迎え撃った。とはいえ、わずか300余の寡勢である。

 徳川軍はこれを侮り、「蹴散らせ」とばかりに襲いかかってきたが、驚くべきことにに死を怖れぬ切支丹隊は、10倍の兵力の先鋒隊を血まみれになりながら潰走せしめた。


 しかしながら、全登の奮戦もこれまでであった。

 戦っても、戦っても、次々に新手の軍が押し寄せる。敵の喊声が四方から迫ってくる。すでに切支丹隊は半数の者が討ち取られていた。

 全登も身に数カ所の手傷を受けた。

「もはや、これまで。わが武運、ここにきわまれり」

 かくして、この切支丹武将は、関ヶ原の合戦の場合と同様、またしても敗残の身となり、戦場から傷だらけになって離脱した。

 以後、全登の行方はようとして知れなかった。

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