第338話 千代乃と佐助と才蔵―1

 家康は鷹狩りをいちばん好む。

 その鷹の啼き声が頭上でしたのである。

 家康、大久保彦左衛門ら一行は、馬上で頭をもたげ、蒼穹に目を遣った。


 確かに、鷹が飛んでいた。それも美しい白鷹はくようであった。雪白の翼を陽にかがやかせ、天空を弧を描くように舞っていた。

 それを見て、彦左衛門がポツリとつぶやいた。

「はて、面妖な。山はおろか一木いちぼくもなき、このような野に鷹がおるとは……」

 その眉がいぶかしげに曇っている。何か、良からぬことが起きる前触れではないのか。


 そのとき一人の旗本が声をあげた。

「おおっ、あれをご覧あれ」

 その指さす方向に目を移すと、一行の行く手に蜃気楼のごとくゆらゆらと現れ、近づいてくるものがあるではないか。


 それは一台の美しい御所車であった。大牛の引き綱を取るは、薄紅色の狩衣かりぎぬを着た牛童うしわらわ牛車ぎゅっしゃの左右には、清雅せいが袿袴うちぎはかま姿の官女二人が付き添い、先頭には黒い束帯そくたいを着用し、白馬に打ち跨った武官の姿がある。


 束帯姿の武官は、白馬の上で両手をひろげ、眼前に迫った家康ら騎馬の一行を制止した。その腰に、黄金造りの飾り太刀が豪奢にきらめく。

「それなるは、徳川の方々とお見受けいたす。われらは朝廷より遣わされた和睦勧告の勅使なり。先の征夷大将軍、家康殿はいずこにおわされるや」

 その武官の朗々たる声を聞き、先頭の老翁が真っ先に下馬し、

「和睦の勧告とは、ありがたや。それがしが、家康めにござりまする」

 と、御所車の前に平伏した。

 これに旗本らも倣い、一斉に平伏した。


 ところが、大久保彦左衛門のみ、鞍からおりようとしない。それどころか、束帯姿の武官や官女を馬上、昂然と睨み据え、れ鐘のような大音声を張りあげた。

「このような荒れ野に、朝廷からの勅使が現れるなど、奇っ怪千万。大方おおかた、妖かしの術であろう。そうに違いないわ」

 一瞥して、忍びの仕業しわざと見破ったのである。


 刹那、二人の官女の手から檜扇ひおうぎが同時に放たれ、一本は彦左衛門の額、もう一本はそののどにあやまたず的中した。

彦左衛門が「ううっ」と呻いて悶絶、落馬するや、

「何をする。狼藉者ろうぜきものめ!」

 と、旗本衆が腰の太刀を一斉に鞘走らせた。

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