第336話 ヒノイチ!―3

 南の方角に金扇の大馬印が揺れながら、遠ざかっていく。

 望月六郎が叫んだ。

「あれこそが家康だ。家康に違いない。逃がすものか!」

 幸村は無言で馬に跨り、後を追った。

 ついに、ついにこのときがやってきたのだ。


 馬上、幸村は心の中で叫んだ。

「父上、佐江どの、天上にてご照覧あれっ!」

 馬の尻に鞭打ち、疾駆させる。

 遅れじと、望月六郎、根津甚八、穴山小介、海野六郎らが馬を奔らせ、土煙りを巻きあげてつづく。


 六文銭の旗指物が馬上、ひるがえる。 

 今や金扇の大馬印は目の前だ。

 旗本の一人と幸村の目が合った。

「真田だ!もはやいかぬ」

 恐怖にかられた家康の旗本は馬印を放り出し、われがちに四散した。

 家康の馬印が倒れたのは、元亀3年、信玄に敗北した三方ヶ原の戦い以来であった。


 幸村らは家康の駕籠わきに迫るや下馬し、声たからかに叫んだ。

「われこそは真田幸村。大御所家康公に見参!」

 その声を聞くや否や、駕籠をかついでいた小者、雑兵らは顔をひきつらせて逃げ散った。

 だが、ここで一人の旗本が踏みとどまり、意地を見せた。

 鷹匠あがりの側近、小栗久次ひさつぐである。


「御首級、頂戴つかまつる!」

 幸村が駕籠へ向けて、十文字槍を繰り出した。その槍を小栗の槍が払った。が、小栗の抵抗もそこまでであった。

 転瞬、望月六郎の槍が、小栗の右肩を深々と貫いた。

 さらに、根津甚八が槍で小栗の足を払った。

 もんどり打って地に倒れ伏した小栗を横目に、幸村が駕籠の扉を開け放った。


 駕籠の中には、口髭を生やした太鼓腹の老人がいた。

 幸村と目が合った。

 目に驚愕と恐怖のまじった色を浮かべている。

 さっき火草の短筒に撃たれて死んだ老人と瓜二つであった。


「ご免つかまつる!」

 望月六郎が老人の髻をつかんで外に引きずり出した。

 根津甚八が問う。

なれは家康なるか」

 老人がわめく。

「下がりおろう!下郎ども」

 次の瞬間、幸村の丁子村正が一閃した。

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