第334話 ヒノイチ!―1

 幸村は左側から押し寄せる伊達軍を横目に見ながら、ひるまず突進した。

 もとより死は覚悟のこと。欲しいものは、家康の白髪首ひとつである。

 穴山小介の声がした。

゛「獲物は家康ただ一人ぞ。者ども死ぬや、死ねッ」

 根津甚八の声もする。

「若につづけ!見事討ち死にし、あの世で佐江姫さまと笑って会おうぞ」


 このとき――。

 幸村の頭上はるか高みに、忽然と一据ひともとの鷹が現れた。白い翼が夏の陽に神々しく輝く。

 火草が空を指さして叫んだ。

「皆の衆、あれをご覧あれ。あれは、佐江姫さまの……」

 そのあとは言葉にならない。

「姫さまが……われらを見守っていてくださる」

 そうつぶやいて泣き崩れた。


 火草の代わりに佐江の従弟、穴山小介が声をあげた。

「あれは、飛雪丸じゃ。姉さまの、佐江姉さまの鷹じゃ」

 根津甚八が叫んだ。

「見よ。佐江姫さまが、われらの戦いを見守っておられる」

 つづいて筧十蔵、海野六郎らの声がした。

「今こそ!」

「おうっ、今こそ、若を日ノ本一の御大将に!」

「そうじゃ。今こそ、佐江姫さまのご遺志を遂ぐべし」

 

 由利鎌之助が血槍を天にかざし、

「ヒノイチ!」

 と、あらん限りの声で絶叫した。

 すると、

「ヒノ!」

「イチ!」

「ヒノ!」

「イチ!」

 期せずして、この叫び声が波動のごとく広がり、士気が一気に燃えさかった。

 飛雪丸が幸村野の後を追うように白い軌跡を描いて飛翔する。

 望月六郎が叫んだ。

「若につづけ!飛雪丸につづけ!」

 六郎の一声に、真田軍は赤い灼熱の炎となって勇躍し、松平忠直隊の厚い壁を突き破った。

 そして、その余勢を駆って、家康の本陣に躍り込んだのである。


 真田軍の火を噴くような猛攻に、家康本陣の旗本隊はあわてふためいた。

 金扇の大馬印が揺れ動き、「厭離穢土欣求浄土おんりえどごんぐじょうど」の旗印が右往左往する。

「ヒノイチいーっ!」

 海野六郎が旗本の一人を血祭りにあげ、血刀を天にかかげて咆哮した。

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