第330話 最終決戦、天王寺口―1

  幸村の一子大助は、三好晴海と伊左兄弟に「いざ」と促され、黒鹿毛の愛馬に跨った。幸村とともに最後の戦いができぬ口惜しさに、きつく唇を噛み、その双眼には悲痛の色を宿していた。


「この父と生死をともにするのが、そなたの望みであったろむうに……すまぬ。許せ」

 幸村は遠ざかる大助の背中に詫びた。


 慶長20年5月7日の朝、世にいう「大坂夏の陣」の最終決戦、天王寺口の戦いの火蓋が切られようとしていた。

 徳川方の東軍総数15万余、対する豊臣方の西軍5万余。もはや誰の目にも勝敗のゆくえは明らかであった。


 野を覆う霧が南へと静かに流れた。

 その白いとばりが眼前から消えかかった頃、徳川軍の前方に、つつじが咲いたように赤く染まった丘が浮かびあがった。

 その丘は、真田軍が本陣を置く茶臼山(大阪市天王寺区)だ。

 武将から足軽に至るまで、すべての兵が真紅の軍装に身を固めている。それが、つつじが咲いたように見えるのだ。


 真田軍は具足はもとより、旗幟、指物も赤に統一されていた。

 幸村の眼前に、松平忠直の越前兵1万3,000がじわじわと迫ってきた。

 望月六郎が隣でささやく。

「いよいよでございますな」

「うむ。なれど、しばし弓矢・鉄砲を控えよ。午の刻(正午頃)まで、待つのじゃ」

「果たして、秀頼公はご出馬されましょうか」


 幸村は秀頼の出馬を待った。しかし、その馬印である金の瓢箪が戦場に輝くことはなかった。

 幸村が由利鎌之助と土屋重蔵に念を押した。

「両名、わが最期を見届けよ。そして、わが首を信濃に持ち帰り、太郎山に葬るのじゃ」

 鎌之助が声を張りあげる・

「若の願い、この鎌之助、身命を賭して果たしまする」

 土屋重蔵が「おうっ」と、槍を天にかざした。


 眼前に越前兵が蟻のように黒々とひしめく。

 幸村が父昌幸の遺刀、丁子村正を腰から鞘走らせ、獅子吼ししくした。

「者ども、赤き龍となれ。いざ、大御所(家康)に見参!」

 望月六郎ら麾下の将卒が、躰の深みから野太い声を噴きあげた。

「うおっ、うおおおーっ!」

 真田鉄砲隊の組頭、筧十蔵が絶叫した。

「撃てっ!撃てえええーっ!」

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