第328話 一子大助との別れ―1

 翌日5月7日未明、幸村率いる3千余の真田軍は、大坂城の南方にある茶臼山に陣を布いた。

 東の空が朱鷺とき色に染まりかけた頃、幸村は一子大助を呼び寄せた。

 総大将である幸村の前に、大助は儀礼上、片膝つきの姿勢となり、

「ご用でございましょうか」

 と、神妙に頭を下げた。


 その姿を目におさめて、幸村が語りかける。

「われらが家康どのの御首級みしるしをあげるためには、いかがすればよいと思うか」

「はて。それがしなどに格別の妙案はございませぬが、まずは心理作戦で敵の前線に衝撃を与えるのも手かと存じまする」

「ほう。それにはいかがする」

「草の者に敵の前線に潜り込ませ、豊臣恩顧の大名に裏切者が出たという噂を流すのはいかがかと」


 ここで幸村は腕組みをして、しばし思案顔となった後、口を開いた。

「ふむ。しかしながら、その噂を流す時機は、敵が合戦で混乱に陥っているときを狙うのが最もよいと思わぬか。誰もが冷静さを失ったときにこそ、効果がある策のように思われる」

「なるほど。では、秀頼さまの馬印である金の千成瓢箪ひょうたんが前線に現れたならば、敵は驚きましょう。特に、加藤家、福島家、浅野家などの将士は、あわてふためき、敵の内部に動揺と混乱が生まれるやもしれませぬ」


 それを聞いた幸村が莞爾かんじと頬笑んだ。

「大助。よくぞ言うた。城方の先頭に千成瓢箪が輝けば、豊臣恩顧の諸大名は大いにひるむであろう。その隙をついて、われら真田勢は家康どのの本陣に突っ込む。さらに、船場(大阪市中央区)に布陣する明石掃部頭かもんのかみどのが、ぐるりと迂回して敵の背後をつき、この混乱に乗じて御首級を頂戴する。万に一つの僥倖ぎょうこうを得るには、この策しかなかろう」


 大助が目をみはった。

「おおっ、それは起死回生の策。なれど、誰が大坂城から秀頼さまを引っ張りだすか、それが最大の問題でございますな」

「それよ。そのことよ。それで困っておる」

 幸村と大助は互いの目を見つめ合った。

 しばしの沈黙のあと、幸村が苦しげな声を喉から絞り出した。

「大助。わるいが、大坂城に立ち戻り、秀頼公のご出馬を仰いでくれぬか」

 その瞬間、大助の表情は凍りついた。

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