第323話 決戦!大坂夏の陣―2

 火草は大坂天王寺で陣をいていた幸村と相まみえた。

「お久しぶりにございまする」

 幸村は懐かしくもいとおしい火草の顔を見て、心が激しくゆさぶられたが、今は合戦を控えた非常時である。あえて、そっけない声音を発した。

「うむ。そなたも息災で何よりじゃ。して、信濃で何か火急なことでもあったか」

「いえ……何もございませぬ……が、……」

「が……とは?」


 一瞬の逡巡ためらいの後、火草は形のよい唇を開いた。

「実は、佐江姫さまが夢枕に現れましてございまする」

「ほう。何か申されておったか」

「はい。源次郎さまは、佐江姫さまのご遺言をおぼえてられますか」

「忘れもせぬ。ヒノ……イチ……ヒノイチじゃ。佐江どのは、われが日ノ本一の武将となることを強く望んでおられた」

 火草が微笑んだ。

「左様にございます。佐江さまは、夢枕で私めに、源次郎さまが此度の戦いで、天晴れ日ノ本一の武将となられることを見届けよと申されました。源次郎さまは必ず日ノ本一の武将になるとも申されておりました」


 幸村は蒼穹を仰ぎ、まぶしげに目を細めてつぶやいた。

「佐江どのが……そう申されておったか」

「はい……それゆえ、ご最期のときまでおそばにいとうございます」

 その返答の代わりに、幸村は村正の脇差を腰から抜いて、火草に渡した。

「明日にも今生こんじょうの別れが訪れるやもしれぬ。わが形見として、これを」

 村正を両の手で受け取る火草に、幸村が再度、声をかける。

「死ぬなよ。そなたは死んではならぬ。生き延びて、太郎山に眠る佐江どのの墓前に、わが戦いぶりと死にざまを報告するのじゃ」

「しかと承りましてございまする」


 幸村と火草は互いの目を見つめ合った。

 ややあって、幸村が口を開いた。

「万が一のときのために、これも渡しておく。必ず役に立つであろう」

 それは幸村愛用の短筒であった。

 筧十蔵が考案した火縄の要らぬ火打ち石式の銃で、これなら危機に際していつでも発砲することができる。


 直後、大砲の炸裂音がつづけざまに響いた。地を揺すぶるような凄まじい轟音であった。それは家康ががオランダやイギリスから買い求めたカルバリン砲であった。

 徳川方は物量にものを言わせて、豊臣方を殲滅しようとしていた。

 火草は短筒を懐中に納めてから、幸村に問うた。

「徳川方が迫っております。どのように迎え撃つ策戦でございましょう」

「明日の未明のことになるが……」

 次第に口が重くなった幸村の言葉を、傍らの望月六郎が引き取った。

「大和路の隘路あいろで、後藤又兵衛どのとともに徳川軍を叩く予定にござる」

 いつしか、周りには筧十蔵、根津甚八、海野六郎、由利鎌之助、穴山小助らが集まっていた。


 火草と目を合わせた海野六郎が、懐かしさのあまり感きわまったのか、「火草どの!」と声をかけた後、顔をぐらりと天に向けて絶叫した。

「うおおおーっ、ヒノイチーいっ!」

 すると全員が刀や槍を天にかざして合言葉のように叫んだ。

「ヒノ!」

「イチ!」

「ヒノ!」

「イチ!」

 その大合唱は繰り返し陣中でつづいた。

 新参者の三好晴海入道・伊左入道の兄弟二人は、それがなんのことやら分からずポカンと互いの顔を見つめ合った。

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