第321話 裸城―2
講和が成立したとはいえ、このような和平はまやかしにすぎないと、幸村は睨んでいた。徳川方はさらに体勢を万全なものにして、来年にも再び攻撃してくるであろう。
こうした危惧を抱いていた幸村は、実のところ、講和成立直後の12月22日夕刻、
「ただちに家康・秀忠の本陣を急襲すべし。徳川方が油断している今宵こそ好機でござる」
と、秀頼に進言していた。
しかし、ここで淀殿が口をはさんだ。
「せっかく和議がととのうたというに、すぐの違約はなるまい」
と、強く反対したのである。
大坂方はここでも絶好の勝機を逃していたのだ。
幸村は総堀が埋められ、裸同然になった大坂城の姿を見て嘆息した。
豊臣秀吉が全盛の頃、大坂城に伺候した諸大名に対して、秀吉は自慢半分にこう語ったという。
「この城を攻め取るには、大軍にて年月をかけて取り囲み、城中の糧食が尽きるのを待つか、それともいったん和議を講じた上、堀を埋めて攻めるに如かず」
まさか秀吉がこんなことを言うはずもないとは思うが、これが万が一にも本当の話だとしたら、秀吉も迂闊なことを述べたものだというしかない。
家康は大坂城の堀が埋められ、丸裸同然になったのわ見届け、ゆうゆう東海道を下り、駿府へと帰還した。
かくて東西の間で、しばしの和平が訪れた。
問題はいつ徳川方が再攻撃を仕掛けてくるかであった。
某日、明石
「駿府まで行き、家康めの動向を探ってまいったところ、やはり狸は狸でござった」
「ほう。して、どのような狸ぶりでござったか」
「あ奴、すでに近江の国友村に鉄砲はもちろん、大砲もできるだけ多く製造するよう命じておる由」
さらに、ひそかに諸大名に触れを出し、再戦の準備を促しているという。
これを聞き、大坂方も埋め立てられた堀の掘り返しなどを行った。
家康は自分の眼が黒いうちに、あくまでも豊臣家を叩きつぶしたいのだと、誰もが悟り、再戦の準備にとりかかった。
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