第314話 真田丸、冬の陣―3

 真田丸に万余の徳川勢が押し寄せてきた。

「いざ、ござんなれ!」

 鉄砲隊を指揮する筧十蔵が頬の刀傷を引きつらせて咆えた。

 眼前には徳川方の加賀前田隊、彦根井伊隊、唐津寺沢隊らが先陣を争い、われ先にと空堀の柵を乗り越えようとしていた。もはや迎え撃つ好機かと思われた。


「若、お下知を!」

「若、まだでござるか」

 慶長19年の大坂冬の陣の、このとき、幸村はすでに鬢髪びんぱつしもを置く48歳であった。

 なのに、信濃から駆けつけた郎党らは、幸村のことを昔どおり「若」と呼んだ。誰の心も、幸村とともに野山を駆けめぐった幼い頃に戻っていた。根津の野山を、太郎山を駆けめぐった弁丸軍団の頃に立ち戻り、その魂を、五体を小気味よく躍動させていた。


 皆が皆、生死を賭した合戦の最中だというのに、心が羽根が生えたように軽やかに浮き立ち、顔を見合わせば愉しげにカラカラと笑い合った。全員、幸村とともに戦うこの日を待ちわびていたのだ。蒼穹からは、夜叉姫さまこと佐江姫が見守ってくれている――口には出さずとも、誰もがそう信じていた。


 嫡男の真田大助が幸村の前に膝をついて、口早に言った。

「父上、兵が血気に逸っております。そろそろ攻撃のお下知を」

「まだじゃ。まだ早い」

 幸村は櫓の上で腕組みをしたまま微動だにしなかった。


 幸村の傍らに泰然として控える望月六郎が感慨深げにつぶやいた。

「案の定、敵は丸馬出しの罠に他愛もなく陥るものと見えまする」

「うむ」

 沼田城の丸馬出しに籠り、北条軍を撃退したのは、もう30年も前のことになる。二人は、あのときのことを同時に思い出していた。


 寸刻の後――。

 真田丸の空堀は、柵を乗り越えてきた徳川の将士で埋め尽くされようとしていた。

 それを見て、ついに幸村が無言で采をふった。

 望月六郎が櫓の上から声を張りあげた。

「鉄砲隊、撃てえええーっ!」

 筧十蔵が銅鑼声を響かせた。

「放てええーっ。ぶっ放せえええーっ!」

 次の瞬間、一斉射撃の轟音が雷鳴のごとく響いた。

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