第313話 真田丸、冬の陣―2
真田家は始祖幸隆の代から武田家に仕えてきた。
よって、幸村は武田の築城術に特有の「甲州流馬出し」の設計や使用法については熟知していた。
馬出しとは、城の
城の虎口たる門の前に曲輪を置くのであるから、攻めてくる敵はまっすぐに城門に進むことができない。馬出し曲輪の前の堀や土塁、塀に阻まれた敵を、ここから鉄砲や弓矢で攻撃でき、敵にひるみが見えたら、すかさず追撃できる。攻守両面に有効な造りの城砦といえよう。
幸村はこの甲州流馬出しについて、実戦上の経験もある。大叔父である矢沢頼綱の沼田城にも、この馬出し曲輪があり、幸村は北条との攻防戦を通じて、馬出しの利点を知りつくしており、この実戦経験で得られた精髄を真田丸に投入した。
真田丸は兵五千人収容の大規模なものとなった。
幸村は満を持して徳川方が押し寄せるのを待った。
しかし、真田丸を警戒して、なかなか攻め寄せて来ない。
真田丸の前には、加賀の前田利常、越前の松平忠直、彦根の井伊直孝、唐津の寺沢広高らがびっしりと布陣していた。
なのに、布陣しているだけで、どの隊もかかって来ない。
この状況に血の気が多い海野六郎が
「いっそのこと、敵をおびき出してやりましょうぞ」
「ふむ。では鉄砲でも放ってみるか」
幸村は鉄砲隊を敵前に繰り出して、挑発の射撃をさせた。すると、このおびき出し戦術に前田隊がまんまと引っかかった。
前田利常は怒り狂って麾下の兵に下知した。
「小癪な!皆殺しにせよ」
前田隊が突っ込んで来るのを見て、鉄砲隊の筧十蔵が叫んだ。
「ひけ、ひけいっ」
鉄砲隊が真田丸に逃げ込むと、それに釣られて前田隊が怒涛のごとく押し寄せてきた。
これにあわてたのが、松平や井伊、寺沢らの諸将である。
「抜け駆けだ。前田隊に遅れをとるな!」
と、一斉に真田丸に殺到してきたのである。
慶長19年12月4日早暁のことであった。
敵のおびただしい旗指物が押し寄せるのを見て、幸村が
そして心の中で叫んだ。
「お
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