第312話 真田丸、冬の陣―1

 幸村は大野治長に最後の提案をした。

「それでは、惣構そうがまえの脇に、出丸をつくらせていただきたい」

「ほう、出丸とは砦みたいなものでござろうか」

「左様。徳川軍を引きつけて叩く要塞でござる」

「して、それはどちらへ?」

「平野口の外でいかがかと」

「なるほど。目の付けどころが、鋭い。さすが幸村どの」


 大坂城は、本丸・二の丸・三の丸の外側に周囲三里八町(約13キロ)に及ぶ惣構えをめぐらせた壮大な規模の城である。しかも、城の北側、東側、西側は河川・池沼ちしょうで囲まれ、天然の要害をなしている。

 しかしながら、南の平野口にはこうした天然の水堀がなく、あるのは人工の惣堀そうぼりだけで、ここの地形はゆるやかな斜面の陸地となっていた。幸村は入城後、大坂城の周囲を巡察して、この平野口こそが城の弱点であり、関東方はこぞってここに押し寄せると考えていた。


 平野口に出丸を築くという、この幸村の提案は淀殿にも受け入れられた。

 城の弱点を補強し、防衛体勢に完璧を期すというなら、金銭は惜しまぬ。むしろ金など幾ら使ってもよいということであった。

 秀吉の存命中、豊臣家は日本の富の半分を保有していた。秀吉の死後、寺社仏閣の建立や修繕に莫大な黄金を費やしたというが、それでも豊臣家の財力に揺らぎはないようだ。


一説によると、徳川家康が大坂城攻めに固執した理由は、大阪城に蓄蔵されたこの膨大な黄金欲しさからであったという。確かに、豊臣家を攻め滅ぼした後、徳川家の天下を確立し、さらに江戸の町を大改造するためには、その資金として、豊臣家の財宝を簒奪するのがいちばん手っ取り早い。狸親爺家康の考えそうなことであった。


 ともあれ、幸村は惣堀外側の平野口に出丸を築いた。これが、のちに「真田丸」と呼ばれた歴史上最も有名な城砦である。 

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