第310話 淀殿、不覚悟

 上段の間から、淀殿が甲高い声を発した。

「ならぬ。秀頼さまの陣中見舞いなど、もってのほか。万一、城外に出られて、流れ矢、流れ玉などで総大将に万一のことが起きれば、いかが相なることか」

 これに後藤又兵衛が駁した。

「畏れながら、合戦に際しては、総大将が陣頭指揮をとってこそ、勝利をもぎ取れるというもの。秀頼さまのご出馬があれば、加藤清正どのら豊臣恩顧の大名らは手出しできませぬ。さすれば、烏合の衆の徳川内部で疑心暗鬼が生まれ、謀叛も起きましょう。千成瓢箪の馬印を掲げての秀頼さまのご出陣、伏してお願い奉る」


 これを聞き、淀殿は秀頼を連れて、打掛の裾をひるがえし、憤然と軍議の席から立ち退いた。呆然とその姿を見送る幸村らを尻目に、大野治長、木村重成が淀殿の後を追った。


 ややあって、治長、重成両名が大広間に戻り、淀殿の命令を一同に伝える。

「結論から先に申し上げる。籠城じゃ。この大坂城は太閤さまがおつくりになった金城湯池、難攻不落の城。徳川どのが総攻撃をかけてきても、落ちぬ。持久戦になっても二年や三年は十分に持ち堪える。そうこうするうちに、関東方は兵糧・矢玉が尽き、撤退せざるを得なくなろう。この要害堅固な城に籠り、勝機をうかがえとのご命令にござる」


 幸村らは淀殿の一方的な態度に唖然とした。

 そして、草の者から聞いた話を思い出した。

 それによると、関ヶ原へ出向く前の石田三成が、せめて京都まででも秀頼の姿を西軍の前に見せてほしいと嘆願したらしいが、淀殿の一喝で実現できなかったいとう。

 大坂方に天下の諸大名が与せず、ここまで追い込まれた一因。

 それは、淀殿の不覚悟にあると思えた。

 秀頼可愛さのあまりの不覚悟である。

 生死を賭けた血みどろの合戦を知らぬ女の不覚悟である。

 雌鶏が鳴けば国は滅ぶ。

 雌鶏はこの大坂城という大きな鶏小屋に籠って、上段の間から鳴きつづけたいのだ。


 幸村はもはやこれまでと最後の提案をした。

 それは、将軍秀忠の本陣への奇襲作戦であった。

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