第301話 幸村と真田紐

 風雲をのぞむおのれ自身の野心を悟られないよう、昌幸は手を尽くした。

 配流先の九度山から、嫡男の信之を通じて、家康の重臣本多正純らに赦免を乞う情けない内容の手紙を送り、徹底的に腑抜けのていを装った。


 一方、幸村もまた自身のうちに燃える覇気を秘した。

 その手段のひとつが近隣の村や寺をめぐり、山歩きをすることである。さまざまな階層の人と分け隔てなく交誼をむすび、好きな酒を酌み交わした。

 さらに真田紐という組紐を考案し、村人らにこれを作ることをすすめた。この真田紐づくりは、野良仕事の傍らにでき、暮らしの足しになる仕事であったため、村人らに喜んで受け入れられた。


 量産された真田紐は、幸村配下の真田忍びの者らによって諸国に売り歩かれ、天下の情勢探索に役立った――というより、むしろ、これは九度山周辺の人々を味方につけることに主眼を置いたものであると、筆者は確信している。

 

 村々の名主らは、領主の和歌山城主たる浅野長晟ながあきらから、

「真田を大坂城へ入れてはならぬ。厳しく監視せよ。次第によっては取りおさえよ。抵抗すれば討ち取るもよし」

 と、通達されていた。


 しかしながら、幸村は真田紐の生産を通じて、村の誰とも隔意なくつきあい、多くの里人から慕われていた。実際、後日、九度山を脱出する際、幸村と交誼のあった村の名主や高野山の庄官、地侍、猟師など多数の者が幸村の大坂入城に随従している。

 いかに、幸村がこの地域に溶け込み、人望を得ていたかがうかがえよう。


 もっとも、浅野長晟とて、名主らには厳しく真田父子の監視を命じているが、実はそれは徳川家の手前をはばかる、表向きのことであった。

 実は、長晟はもともと豊臣家臣であり、それも一族衆の一人であった。秀吉の正室高台院(ねね)の妹が、長晟の母親なのである。

 ゆえに口ほどに監視は厳しくなく、心のうちではひそかに真田父子の大坂入城を期待していたフシが見受けられた。


 かくして4年の歳月が経過したとき、思わぬこととが起きた。

 それまで天下大乱を待ちのぞみ、家康の首を獲るまではと、矍鑠かくしゃくと過ごしていた昌幸が、突如、病の床に臥したのである。

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