第300話 昌幸、腑抜けを装う

 慶長12年、家康は江戸城を二代将軍の秀忠に譲り、駿府城へと移る。が、政権を秀忠に譲ったわけではない。

 完全に政権を譲り、家康が隠居するには、秀忠はあまりに凡庸すぎた。ただ、家康の指図どおりに動くのが唯一の取り柄といえよう。


 ために家康は駿府に移っても、「大御所」として幕府の実権を掌握しつづけた。

 この駿府城には、家康の懐刀ふところがたなと呼ばれた本多正純まさずみ、黒衣の宰相の異名をとる金地院崇伝すうでん、博覧強記の儒学者である林羅山らざんなどが集まり、謀略のための頭脳集団を形づくっていた。

 家康はこの城を根城に、幕藩体制の基礎固めをするとともに、豊臣家を罠にはめる陰謀をめぐらせていた。


 一方、昌幸と幸村父子は、高野山麓の九度山村で少数の側近や家族とともに、代わり映えしない雌伏の生活を送っていた。

 九度山村の真田屋敷から少し下ると丹生川にゅうがわがある。昌幸は、この川でしばしば釣り糸を垂れた。

 幸村が、

「前は暇があれば囲碁に興じられましたのに……今や囲碁から釣りに宗旨がえなされましたか」

 と、昌幸に問うと、

「ふふっ。ほうけたフリをするには、釣りがよいのよ」

 と、唇を歪めて応えた。


 九度山には、家康の命を受けた伊賀者が間者として潜伏し、真田父子の動向を絶えず監視していた。そこで、昌幸は、伊賀者の目に、日がな一老翁として釣りをする姿を故意にさらした。

 この地に潜伏した家康の犬らは、昌幸の打ちしおれた姿を見て、「もはや安房守に天下を窺う気概なし」と、飼い主に報告するであろう。

 昌幸は家康に野心を見透かされぬよう細心の注意を払った。万一、徳川と豊臣が手切れとなる日を待ち望んでいることを悟られると、家康は間違いなく刺客を送ってくるであろう。

 夜陰に乗じて、大勢の刺客に急襲されれば、少数の家臣とともに応戦しても勝ち目はない。


 家康が豊臣家に牙を剥き、戦雲がまき起こるまで、なんとしても生き延びねばならない。東西手切れとなったとき、九度山を脱出して、大坂城に馳せ参じ、徳川家にひと泡吹かせてやる――昌幸もまた幸村とともにその日を待った。

 

 



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