第299話 家康と淀殿

 昌幸と幸村父子が高野山に赴いた三年後、家康は征夷大将軍に任官し、江戸に幕府を開いた。これにより、家康は名実ともに武家の棟梁になった。

 さらに、その二年後の慶長十年、家康は早くも将軍職を秀忠に譲り、政権が代々徳川家のものであることを満天下に示した。

 なお、将軍職を辞した家康は、これ以降、大御所と称し、院政をしくことになる。


 秀忠の将軍宣下の儀式が、京都の二条城で執り行われた際のこと。

 家康は亡き秀吉の正室であった高台院(北政所)を通じ、

「秀頼さまもお祝いに参られてはいかがか」

 と、大坂城の淀殿・秀頼母子に上洛を促した。


 すると、淀殿は、

「何を言わっしゃる。それでは、わが豊臣家が徳川に臣下の礼をとることになるではありませぬか。徳川どのは秀頼公の臣下であったことを忘れておるのか」

 と、柳眉を吊りあげ、これを拒んだ。

 淀殿の母は、言うまでもなく織田信長の妹お市の方である。つまり、彼女の信長の姪にあたる。それだけに気位の高さは並ではない。


 ――かつて、わが伯父信長の前で、醜い蛙のように這いつくばり、阿諛あゆ追従していた家康なぞに今さら大きな顔をされてなるものか。

 自尊の念を傷つけられた淀殿は怒り狂い、わが子秀頼から天下人の座を奪った家康を激しく憎悪した。


 一方、昌幸と幸村は、配流先の高野山の麓、九度山村で雌伏の歳月を送っていた。

 その二人の屋敷に、虚無僧、僧侶、山伏、薬売りなどがしばしば出入りする。これらの者が幸村配下の望月六郎ら真田忍びであることは言うに及ばない。

 昌幸は天下の動きに目を配っていた。

 ――いずれ大乱が勃発することは必定。そのときは、再び家康めと戦場でまみえ、手痛い目にあわせてくれよう。必ず家康の首を獲ってみせる。真田の名を天下に轟かすのじゃ。

 

 幸村も風雲が湧き起こり、雷雨轟くそのときを待った。

 蛟竜こうりゅう雲雨を得ば、ついに池中のものに非ざるなり。

 弾雨の降りそそぐ中、赤き龍となって、まっしぐらに天翔けるその日を。

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