第296話 関ヶ原の才蔵―3

 才蔵は完全に敵に囲まれていた。

 そのすべてが雑兵である。20人余の雑兵が槍先を揃え、じわじわと包囲をせばめてきた。

 一陣の突風が、才蔵の褐色の総髪をなびかせた。

 直後、才蔵は虚空に十字を描き、

かっ!」

 と、肺腑をつらぬくような鋭い気合を発した。

 すると、なんとしたことであろう。

 才蔵に向かって槍を突き出そうとした雑兵どもが、槍を持ったままバタバタと棒のように倒れたのである。

 伊賀流「不動金縛りの術」であった。


 その次の瞬間、才蔵の長躯を白い靄のような霧が包んだ。その霧が流れ消えると、霧隠の名のごとく才蔵の姿は戦場から掻き消えた。

 

 関ヶ原での西軍の敗北により、真田昌幸・幸村は一挙に敗者へと転落した。

 戦後、家康はこの父子を斬首にしようとした。

「真田は当家に対して二度も恥をかかせおった。首を刎ねずば気がおさまらぬ」

 と、いうわけである。

 上田城の戦いで煮え湯をのまされた秀忠の恨みもすさまじかった。

「断固、死罪を」

 と、けわしい声で父家康に訴えた。


 しかし、これに対し、東軍に与していた真田信幸は、一命を投げうつ覚悟で助命嘆願した。

「父と弟を殺すなら、まずも身共に切腹をお命じあれ」

 と、家康に懇願したのである。

 その覚悟に心打たれた岳父の本多忠勝も娘婿である信幸の側に立った。徳川四天王たる重臣の本多忠勝が後ろ盾となれぱ、家康も渋々ながら折れざるを得ない。

 結局、真田父子を紀州高野山へ幽閉することにした。


 慶長5年も暮れの12月13日、昌幸と幸村は上田を離れ、配流はいるの地である高野山へ向かうこととなった。

 出立の際、昌幸はおのれが築いた城を見上げ、つぶやいた。

「さてもさても口惜しきことかな。家康をこそ、高野山に送ってやろうと思ったものを……」

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