第294話 関ヶ原の才蔵―1

 関ヶ原の合戦は、真田昌幸の思惑とは異なり、三成方の西軍が大敗した。

 西軍は総員8万の大軍で、関ヶ原に家康軍3万余を大きな翼で包み込み、討ち取る鶴翼かくよくの陣を布いた。

 だれが見ても西軍が圧倒的に有利な陣形、陣容であった。


 それなのに苦杯を喫したというのは、ほらヶ峠を決め込む武将が多かったことに加え、裏切り続出によるもの。味方に背後を衝かれる不安を内包していては、とても戦えない。西軍は、家康の調略により、戦う前から負けていたのである。


 幸村の岳父大谷刑部ぎょうぶ吉継も戦死した。

 東軍に寝返った小早川秀秋らの攻撃を受けて大谷軍は壊滅し、吉継は泰然自若として自刃した。

 雪崩れを打って敗走した西軍であったが、そのとき、ごうもひるまず敢然と十字架の旗印を掲げ、東軍の前に立ちはだかる決死の部隊があった。


 その部隊こそ、切支丹信者のみで編制された明石あかしクルス隊であった。

 率いるは紅羅紗の袖なし羽織をまとった白皙長身の武将である。銀糸で十字架が刺繍された羽織の背には、四尺余の長剣。それが霧隠才蔵その人であることは、いうまでもない。

 才蔵は、切支丹大名の明石掃部頭全登かもんのかみてるずみから、この一隊の指揮統率を委ねられていた。


 明石全登は、備前岡山に三万石の領地を有する大名である。この関ヶ原では、主君宇喜多秀家の軍師として、先鋒の1万8千余を率いていた。

 宇喜多家にあっては、全登の地位は上杉家における家老、直江兼続に似る。洗礼名はジョバンニ。豊臣政権下での切支丹信仰の自由をねがって、西軍の三成方に与していた。

 

 以前、才蔵はこの切支丹大名である明石全登のもとで忍び働きをしていたことがある。その旧主からぜひにと懇願され、預かった部隊であった。

 

 このクルス隊は、東軍に味方していた福島正則の軍と衝突し、斬り結んだ。才蔵も長剣をふるい、縦横無尽に戦った。眼前で敵味方の血がしぶいた。

 クルス隊は一丸となって死を覚悟で戦った。死兵と化した部隊には、統率者は不要であった。

 才蔵が指揮する前に、クルス隊はみずから死地に赴き、敵と刺し違えるようにことごとく死んでいくのである。

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