第289話 秀忠、愚かなり―4

 伏兵の鉄砲隊を率いる筧十蔵は、徳川の騎馬武者が近づいてくるのを見て、ニタリとて笑って咆えた。

「待っておったぞ!」

 また、同じく伏兵の弓隊頭、海野六郎も、唇を歪めて武者ぶるいした。

「地獄に落としてやる!」


 徳川の軍勢が馬蹄を轟かして、一丁先に迫ってきた。

 そのとき、筧十蔵と海野六郎がぼほ同時に絶叫した。

「鉄砲隊、撃てえぇぇぇぇーっ!!」

「弓隊、射かけよっ。放てえぇぇぇぇーっ!!」

 群がって突進してきた徳川の騎馬武者は、前方からまともに矢弾をくらって、馬からもんどり落ちた。

「ひえーっ!」

「ぐわっ!」

 たちまち辺りには阿鼻叫喚の地獄絵が現出し、断末魔の悲鳴がつづいた。



「ひけっ、ひけいっ!」

 騎馬武者の頭の声であろうか。おびえたような声が響く。

「今ぞ!」

 敵のひるみを見て、由利鎌之助と従弟の土屋重蔵率いる槍隊が、徳川兵の横合いから吶喊した。

 次いで穴山小介が率いる荒くれ武者が殴り込み、当たるを幸い斬りまくり、薙ぎ倒す。


 その悲惨な状況を見て、秀忠は唖然とした。

 精悍を誇る三河兵がなすすべもなく敗れ、逃げ惑っているのだ。

「ええいっ、何たることか。旗本全軍、打って出よ」

 秀忠が援兵を繰り出した。二千騎という新手の大軍である。


 真田方としては多勢に無勢で、勝ち目はない。

 負ける勝負は、避けるのが鉄則とばかりに、伏兵全員、サッサと上田城に引きあげた。

 これを徳川軍が怒り狂って追尾し、城の大手門へと殺到した。

 すると、大手門の櫓の上にしつらえた能舞台で、昌幸が美々しく着飾った若侍につづみを打たせ、悠然と『高砂』を謡うっているではないか。


 これを見て猛将の榊原康政は、

「にっくき真田め。人もなげな振舞い、許せぬっ!」

 と、いきり立って、三千の兵で城に攻撃を仕掛けた。

 父や叔父が神川の合戦で苦杯を嘗め、仇討ちとばかりに意気込んでいた大久保忠隣も大手門に打ちかかった。

 しかし、このとき――。

 昌幸は麾下の兵に思いもかけぬ命令を下した。

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