第288話 秀忠、愚かなり―3

 慶長5年9月6日。

 秀忠は上田城の東に位置する染谷台に本陣をいた。

 そこからは上田城が見え、秀忠はその城の姿を目にするたびに、昌幸に愚弄された恨みがふつふつと湧き、内心の怒りがおさまらない。

 

 秀忠は武将としての才がなかった。

 愚かにも、その怒りの矛先を麾下の将たる昌幸の嫡男、信幸に向けたのである。

 秀忠は、信幸に唇を歪めて命じた。

「すぐさま上田城の支城、砥石城を陥落させよ」

 砥石城は、かつて信玄でも落とせなかった難攻不落の城である。

 しかも、このときはまさに幸村が五百余の兵とともに守っていた。

 それを知りながら、秀忠は卑劣にも、兄弟相食あいはむ戦いをさせようとしたのだ。


 しかしながら、幸村は賢明であった。

 草の者から、

「兄上さまの軍が、こちらに向かっておりまする」

 という報告を受けるや否や、兄弟での戦いを避け、兄に花を持たせるべく上田城へと粛々と兵を撤収した。


 秀忠はさらに、叫ぶように兵に命じた。

「刈田をせよ!」

 この刈田というのは、田畑から稲の実りを奪うもので、略奪行為の「乱取り」の中で最も卑劣な行為といわれていた。

 上田城の目の前で、兵に鎌を持たせて刈田をさせ、昌幸をあからさまに挑発したのである。


 昌幸はこの挑発に乗せられたかのように、小勢を率いて上田城から出撃した。

 染谷台からそれを見た秀忠は、あわてて下知した。

「来るぞ。安房守が来るぞ。首を獲れ。逃がすな」

 秀忠軍は、ここぞとばかりに騎馬武者の軍勢が土煙りを巻き上げて、昌幸に向かって突進した。

 その途端に、昌幸は馬首を返して逃げた。

「逃げるなっ!」

 と必死で追尾する徳川軍。


 しかし、これは昌幸が仕掛けた罠であった。

 徳川兵の行く手には、筧十蔵の鉄砲隊、海野六郎の弓隊が、叢林そうりんの陰に伏兵として待ち受けていた。

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