第284話 風雲上田城―1

 かくして慶長5年8月。

 昌幸は配下の真田忍びに、徳川方の動向を探らせるべく、浜松城下などの各所に人員を散らせた。

 大坂から上田に戻っていた火草も、くノ一軍団を率いて敵情探索に奔走した。


 上田城の本丸に腰を据えた昌幸のもとに、様々な情報がもたらされた。それをまとめると、徳川軍の陣立ては7万近い大軍で、二手にわかれて西上するという。

 一手は、東海道を攻めのぼる家康軍3万余。これは、豊臣恩顧おんこの大名を主体とする陣容である。


 もう一手は、中山道をゆく秀忠軍3万8千余。これは、徳川譜代の大身で構成される。すなわち、徳川四天王の榊原さかきばら康政を筆頭に、本多正信、大久保忠隣ただちか、酒井家継といった選りすぐりの面々である。

 そういう意味では中山道を進む秀忠軍こそ、徳川方の主力部隊といえよう。

 この頃、秀忠は家康の後継者として期待されていた。榊原ら重臣らは、何がなんでも秀忠に手柄を立てさせ、次の将軍に仕立て上げなけれならないと意気込んでいた。


 草の者の報告を受けて、昌幸は幸村の前で喜んだ。

「わが城の手勢は3千。片や敵は3万8千。これはよい。願ってもないことよ。もし、わしが徳川の大軍を向こうに回し、散々に翻弄すれば、わが真田家の武名は天下に轟く。しかも、主力となる秀忠軍をこの上田城に釘付けにすれば、三成は必ず勝つであろうて」


 昌幸は城の防備を固めた。

 矢沢三十郎頼康も、「ござんなれ」と、殿城の矢沢城の守りを堅固にし、徳川の軍勢を待ち構えた。

 八月晦日みそか、幸村配下の者が打ち揃い、徳川迎撃の手筈を議した。

 口の重い幸村に代わり、望月六郎が、筧十蔵、由利鎌之助、穴山小助、海野六郎根、根津甚八ら各組頭を前に、今回の策戦のあらましを説明した。

 一同の前に、上田城を中心とする絵図がある。

 望月六郎がその絵図の要所を扇子で押さえながら、語り説くことて一刻――。


 つと、鉄砲組頭の筧十蔵が顔を上げて不安げな声を出した。

「敵は3万8千。わがほうは3千で、援軍なき孤城。いかに上田城が堅固とて、攻囲され、糧道を断たれれば、あっけなく陥落しますぞ」






 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る