第283話 真田昌幸の決断―5

 幸村のいう母上とは、申すまでもなく昌幸の正室たる山之手殿のことであり、信幸の産みの親である。

 目を伏せた信幸に、幸村が言葉を重ねた。

「兄上は、母上をお見捨てなさるおつもりか」

 その瞬間、信幸が太刀の柄頭から手を離し、がっくりと崩れ落ちた。


 幸村はきっぱりと言った。

「私めは、あくまでも父上とともに戦いとうございます。私めは、父上と生死をともにしとうございます……私めは……私めは……」

 その目には光るものがあった。

 幸村は幼い頃、根津家に猶子として長年、預け置かれた。それだけに、家族を大切にする思いと、もう二度と父昌幸から離れたくないという思いがあったのである。


「源次郎、もうやめよ」

 昌幸がゆっくりとした声で幸村に命じた。

 そして、ややあって言葉を継いだ。

「もうよい。論は尽くした。源三郎はおのが信ずる道をゆけ。おぬしは徳川、われらは豊臣。これにて、いずれが勝っても負けても、真田の家名は残ることになろう。そなたの武運を祈る。さらばじゃ」

 昌幸は議論を打ち切り、席を立った。

 ここに、それぞれの歩む道が定まったのである。


 かくして、昌幸・幸村父子は、ただちに犬伏の陣をけて、上田へと戻った。会津征伐に出陣した武将の中で、三成方についたのは、昌幸ただ一人であった。

 当然、家康は烈火のごとく怒り、上田城に攻め寄せてくるであろう。しかも、怒りにまかせて三万、四万という大軍で攻撃してくるであろうことは明白であった。


 しかし、昌幸は自分の決断にこれっぽっちも悔いていなかった。

「家康ごとき何するものぞ。のぞむところよ」

 と、昌幸は笑って、もののふとしての気魂きこんを幸村に示した。

 三成率いる西軍を必ずや勝たしてみせる。

 まずは、天下の大軍を上田城に引き寄せて、完膚なきまでに叩きのめし、真田家の家名をあげてみせる――昌幸の士魂は熱く燃えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る