第269話 秀吉の残虐性―1

 秀吉は陽気で剽軽な男というイメージがある。

 たしかに若い頃の秀吉は、頭脳のキレもよく、人たらしの術をいかんなく発揮し、陽気なオーラを身にまとっていた。


 しかしながら、この男は織田家の家臣になったときから、胸中に激しい出自コンプレックスを抱えていた。

 ために、織田信長が本能寺で横死したおかげで、その政権を簒奪した途端、信長の娘や姪らをはじめ、名門大名、公家の娘らを次々とおのが側室におとしめ、「大奥」のハシリともいうべきハーレムをつくって荒淫にふけった。


 さらに関白就任後は、おのがいやしい出自を粉飾するため、恥ずかしげもなく天皇の落胤とも、太陽(日輪)の申し子とも称し、それを至るところで吹聴した。


 特に信長の死後、この男は本来の残虐性を見せはじめた。

 信長の三男信孝を自害させ、その母、娘らをはりつけに処するなど「裏の顔」をのぞかせたのである。

 こうした秀吉の誇大妄想や加虐性は、名実ともに天下人に成り上がり、得意の絶頂をきわめるようになると、さらに加速度的にこうじていく。 


 天正19年、政治顧問ともいえる茶頭・利休を切腹させ、その首を京の一条戻橋にさらした。

 さらに同年、凄まじい残酷劇の序章が幕を切って落とされる。

 実子に恵まれなかった秀吉は、この年、甥で養子の秀次に関白職をゆずり、自身は太閤(前関白の尊称)となる。

 しかし、皮肉なことに、そのわずか二年後、愛妾淀の方がおひろい(秀頼)を産み落とした。


「しまった。あやつに関白をゆずるのではなかった」

 と、秀吉は狂わんばかりに後悔し、悶々と悩んだ。

 このままでは、自分が汗水垂らし、命がけで勝ち取った天下は、馬鹿面丸出しの秀次のものになってしまうのだ。


 秀吉は石田三成らの側近に耳打ちした。

「なんとしても、わが子お拾いを世継ぎにするのじゃ」

 身の毛もよだつような恐ろしいことがはじまろうとしていた。

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