第268話 火草と幸村との別離

 真田家が豊臣家に臣従してから、七年の歳月が流れた。

 この間、幸村の身にはさまざまなことが起きた。

 天正18年の小田原攻めに加わり、その二年後の文禄元年には、朝鮮征伐のため、秀吉の馬廻り衆として肥前名護屋城に駐屯した。

 馬廻り衆とは、主君の親衛隊であるから、幸村は秀吉から近習扱いを受けていたことになる。


 さらに、その二年後の文禄3年、幸村は妻を娶った。

 妻となったのは、豊臣政権の奉行、大谷吉継の娘であった。

 無論、この婚姻は、秀吉の上意にもとづくもので、是非も否応もない。

 しかし、これを区切りに、火草は自ら幸村のしとねを離れた。


 火草はそれまで佐江姫の遺命に従い、幸村と臥所ふしどをともにしつつ、その身をそば近くで守っていた。

 一人前のくノ一として、私情を殺し、おのれの感情を自在に制御できるはずであった。

 だが、火草もくノ一である前に、所詮一人の女であった。

 幸村が秀吉の命とはいえ、大谷吉継の娘を娶ったとき、火草の胸には、それまで味わったことのない嫉妬の感情が渦巻いたのである。


 火草はおのれの身をじた。

「われはくノ一として至らぬ」

 そう自嘲した胸中に、信濃の野に吹き渡る風がよぎった。

「帰ろう。信濃に帰って、わが身の拙さを佐江さまの墓前にお詫びせねばならぬ」

 その翌日、火草の姿は幸村の前から忽然と消えた。

 なお、天正17年、幸村の兄たる源三郎信幸は、秀吉の取り持ちで家康に仕え、翌年、本多忠勝の娘小松姫こまつひめを妻に迎えている。

 このとき、兄弟の運命はわかれた。


 人生は残酷である。別離もあれば死もある。

 人はいかなる栄華をきわめようとも、必ず老い、耄碌し、そして死ぬのだ。

 この当時、天下人秀吉の身にも老耄の兆しが見えはじめていた。

 豊臣政権は、絶対君主の秀吉の老いとともに、奈落への迷走をはじめようとしていた。


 


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