第266話 秀吉と家康と昌幸―1

 瀬田の唐橋で半蔵への復讐を遂げられなかった佐助は、次の機会を待った。

 無事に上洛した家康が、聚楽第で秀吉に拝謁したことにより、天下の趨勢は定まった。

 この天正14年以降、後顧の憂いをなくした秀吉は、小田原の北条攻めを企てるなど、天下統一の野望を果たさんと破竹の勢いを示していた。


 翌15年、昌幸は秀吉の仲立ちで駿河の家康と会見した。

「双方遺恨はあろうが、天下泰平のため、水に流すべし」

 というわけである。

 駿府城で家康と会見したあと、昌幸は「御礼」のため上坂し、天下人秀吉に謁見した。

 その日は花冷えの寒い日であった。


 大阪城の大広間は千畳敷きといわれるほど広い。人を圧倒するほどの大空間である。

 そこに通された昌幸は、秀吉の側近や諸侯が居並ぶ中、下座で深々と拝跪した。

 はるか先の上段の間には、五尺にも満たぬ小男が、金襴の褞袍どてらを着て、ちょこんとうずくまっていた。


 昌幸は平伏したまま、上目遣いで秀吉の様子を窺った。

「これが、信長公から禿げ鼠だの、猿だのと言われた男か。なるほど、鼠や猿によう似ておることよ。しかも、貧相そのものじゃ」

 心の中でそうつぶやいたときであった。


「そのほう、けしからぬ!」

 と、上段の間から甲高い声が落ちてきた。

 それが秀吉の声であることは言うまでもない。


 ――すわ、腹のうちを見透かされたか。

 昌幸は動揺しつつ、畳に頭を打ちつけるほど平伏した。

 そこへ、秀吉が上段の間から、太刀を携えた小姓とともに、つかつかと近づいてきた。


 昌幸の何かが秀吉の逆鱗にふれたのだ。

 ――もしや、打ち首か。

 昌幸は内心、肝を冷やした。

 首筋にすっと何かがふれた。

 冷たい。

 昌幸は「もはやこれまで」と覚悟した。

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